21世紀の今、日本には様々な職業があります。
IT関係のエンジニア、アイドルや声優などの芸能人、ゲームクリエイター、YouTuberなど。
才能や個性を武器にした新しい職業が登場しており、これらは近年の若者たちの憧れの職業としてメディアなどから注目を集めています。
職業は時代を映す鏡とも言えますが、昔の若者たちの憧れの職業とは一体どんなものだったのでしょうか。
現在の職業の原型が出来上がった太平洋戦争前に焦点を当てて、若者の憧れの職業を見ていきましょう。
男性の憧れの職業は「サラリーマン」?
戦前の男性たちに人気の職業は、今ではとても馴染み深い意外な職業。
なんと「サラリーマン」。
サラリーマンというと、背広を着て会社に行って働いて給料やボーナスを貰って、夜遅くに家に帰って来る……どこにでも当たり前のようにいるお父さんの姿を想像できますね。
「大きくなったらサラリーマンになりたい!」という子供は少ないと思いますが、戦前は一握りの優秀な人しか就くことのできないエリート職業でした。
戦前はまだ農業を営む人が大半で、1930年の国勢調査では職業人口の約7%しかサラリーマンはいませんでした。
当時サラリーマンになって都会で働くには、専門学校や大学を卒業しなければなりません。
このような学校に入学し卒業するには、金持ちの家であることと勉強が出来て頭が良いことが最低条件になります。
狭き門ですので当然年収も良く、課長クラスで年収5000万円前後もらえる場合もあったようです。
今では考えられない年収ですね。
戦前のサラリーマンはエリート高給取りだったので、女性たちから非常にモテました。
現在モテる職業と言うと、堅実な公務員や個性的なアーティストや医者が挙げられますが、戦前のモテ職業は以下の3つ。
・サラリーマン
・銀行員
・医者
典型的なエリート職が持て囃されていました。。
人気がありそうな「軍人」。実際のところは??
戦前の日本には職業軍人がたくさんいましたが、当時若者の間での職業としての人気はどうだったのでしょう。
実は当時、軍人という職業はあまり人気がありませんでした。
農業や自営業とは違い、月給制という意味ではサラリーマンと変わらないのですが、「貧乏少尉、やりくり中尉、やっとこ大尉」なんてからかわれるほど給料は低かったといいます。
年収は現在の金額で言うと、これくらい。
少尉クラス:年収300万前後
中尉クラス:年収300~400万
大尉クラス:年収400~600万
軍人は有事の際、常に死と隣り合わせになります。それなのに給料が低い……となると、積極的になりたいとは思えませんね。
女性の社会進出
大正から昭和初期は女性の社会進出がめざましい時期でもありました。
しかし、それ以前の女性は働いていなかったのかというと、そういうわけでもありません。
江戸、明治も女性はよく働いていましたが、その頃の女性の仕事は「女性だけの仕事、女性ならではの仕事」ばかりでした。
戦前になると、これまでは男性が担っていた……もしくは男性でもできるような仕事に女性が就くといったものでした。
このような働く女性たちを「職業婦人」と呼び、太平洋戦争が終結するまでこの呼び名が定着していました。
◇ 職業婦人たちの仕事 ◇
美容師 医師 |
中でも人気だったのはタイピストのようです。
ちなみに、現在は働く女性のことをOLと呼びますが、これは昭和38年(1963)から呼ばれるようになった言葉。
戦後、「サラリーガール」という呼び方が広まっていました。
また、サラリーガールの中でも株式市場で働くエリート女性を「ビジネスガール」といいました。
しかし、1964年の東京オリンピックを目の前にしてビジネスガールという言葉は放送禁止用語にされてしまいました。
「ビジネスガール」は直訳すると「商売女」になり、「これは良くない!」と考えられたのです。
そこで、「オフィスレディ(OL)」という呼称が登場し、現在でも定着しています。
まとめ
戦前の憧れの職業と職業婦人についてお話してきましたが、いかがでしたか?
サラリーマンが憧れだったというのは、今の私たちの感覚から見ると少々以外でしたね。
また、軍人が低収入というのも、実に意外な話だったと思います。
この頃の軍人のイメージというと、どこに行っても高圧的で威張っている高給取りというイメージですが、実際は生活するのも大変だったようです。
階級の低い軍人の給料が極端に安いのは、階級が低ければ低いほど戦地に赴き、危険な任務に身を置くことが多いせいでしょう。
死亡する可能性が非常に高いので非情な話ではありますが、そういった先兵たちに高い給料をあげている余裕が無かったのかもしれません。
約100年前の職業を見てきましたが、これから100年後はどんな職業が登場し、若者の憧れになっていくのでしょうね。