学校で弥生時代のことを勉強する時、必ずと言っていいほど『魏志倭人伝』の記述について触れます。
中国の魏(※当時中国は三国時代で、魏、呉、蜀の三国が同時に存在していました)に倭国から使者が来た。
倭国は女王の卑弥呼が治めている国らしい。
簡単にまとめるとそんな内容で、これが日本について最初に記録された文献だと言われています。
学校で習うのはこのくらいですが、実際の『魏志倭人伝』はもっと色んなことが記録されています。
その中でも興味深いのが、当時の日本の食文化についての記述です。
弥生時代は稲作をしていたから米を食べていた……というのは分かりますが、では米以外にどんなものを食べていたのでしょうか。
昔から日本人は海産物が好き?
『魏志』には、日本人(倭人)の食文化についてこのように書いています。
倭国には良い田んぼが少ないため、海に潜って貝類などの海産物を採って食べていた。
魚やハマグリ、サザエを採取し、男たちは大きな魚や水鳥を追い払うために全身に奇抜な入れ墨をしていた。
海に囲まれた島国である日本は、昔から海産物の宝庫です。
日本各地にある貝塚(※縄文、弥生時代の遺跡のひとつ。当時のゴミ捨て場)からは貝類の化石が多く出土しています。
日常的に食べていた貝はサザエやアワビが多かったようで、ハマグリなどの二枚貝は地域によってはあまり食べていなかったようです。
今では高級食材のサザエやアワビをよく食べていたなんて、羨ましい話ですね。
魚はどんなものを食べていたのかと言うと、サバ、タイ、イサキ、アジなど今の私たちが食べている魚と同じようなものばかりです。
弥生人は生野菜も肉も食べていた
では弥生時代は魚や貝類ばかりを食べていたのでしょうか?
『魏志』の中にはこのような記述があります。
倭国は温暖な気候で、夏でも冬でも生野菜を食べることができる。
しかし、牛や馬や虎はいなかった。
生野菜と言うとサラダのようなものを想像してしまいますが、主にウリ科の植物を食べていたようです。
それ以外だと野菜と言えるか迷うところですが、クルミ、カシの実、ヤマモモ、モモ、サンショウ、セリを食べていました。
では肉についてはどうでしょう。
『魏志』には牛や馬はいなかったとありますが、遺跡からは牛馬の骨が出土しています。(※現在、牛馬が弥生時代に存在していなかったとする説もあります)
また、牛馬以外だとイノシシやシカ、犬、タヌキ、ウサギ、鳥類も食べていたのではないかと考えられています。
中でも最も食べられていたのはイノシシで、日本各地の遺跡から骨が出土しています。
肉食に関しては、「人が死ぬと十日余りは喪に服して肉を食べないようにする」という記述もあり、弥生人が日常的に肉を食べていたことが分かります。
お酒は飲んでいたのか
同時期の中国は三国時代真っただ中。
かの有名な劉備の義弟、張飛は大酒飲みで知られていますが、当時の中国にはもうすでに飲酒の文化が浸透していました。
中国より日本は文化的に遅れていましたが、日本にも飲酒の文化がありました。
『魏志』にはこのようにあります。
人々はお酒を好んで飲んでいた。人が死ぬと喪主は泣き悲しみ、人々は歌舞を披露し酒を飲んだ。
酒は古来、祭祀に欠かせないものです。
日本でもそれは同じで、収穫を祝ったり喪に服したりする際に飲酒していたのではないかと言われています。
まとめ
このような記録と各地遺跡から出土したものを同時に見てみると、弥生人は意外とグルメだったのだなぁと感慨深くなりますね。
当時よく食べていたイノシシは、今でもぼたん鍋などの料理になって食通を唸らせています。
濃い味付けがたまらなく美味しいのですが、残念なことに弥生時代は大して食べ物に味付けをしていなかったと考えられています。
味付けをしたとしても、塩くらいしかありません。
生姜などの薬味になる植物も日本にはありましたが、『魏志』には「倭人は薬味が美味しいということを知らない」とあります。
再現してみても、美味しく食べるのはなかなか難しいかもしれません。