第二次世界大戦後。
「日本が平和に保たれたのは憲法第9条のおかげである。」
戦後の教育では、このように教えられてきました。
しかし、日米安全保障条約こそ戦後の平和と繁栄をもたらした立役者でした。
1951年。
吉田茂首相は、サンフランシスコ平和条約を結ぶと同時に日米安保条約に調印しました。
戦争に負けた日本は、軍隊もなく愛国心も奪われていました。
そのためアメリカ軍が撤退したら自国を守ることができません。
そこで、やむをえずアメリカに日本の防衛を頼み込んだのです。
それを反映し、内容も以下のようなものでした。
「日本を防衛するのはアメリカの義務ではない。
しかし、アメリカは日本に基地を置き、ほぼ自由に使用できる。
そのため日本の安全も保障される。」
日本の復興!”新”日米安全保障条約!
1960年。
日米安全保障条約のおかげで、軍事費を抑えることができた日本。
わずか10年で復興を遂げると、岸信介首相は平等な立場で軍事同盟を結ぶという立場を示し、新日米安全保障条約を結びます。
このとき、日本では「六十年安保闘争」が起こります。
学生運動、30万人もの国会デモ、1万人の学生の国会突入など、激しい抗議行動が起こったのです。
しかし、あとになってみると、これほど間違った抗議活動はありませんでした。
かつて、アメリカの策略により日英同盟が解消させられたとき、日本は代わりに多国間同盟を結びました。
しかし、何か起きた時に多国間同盟はあまり機能しません。
各国の利益がぶつかり合って、うまく調整できないのです。
その点、アメリカとの軍事同盟はとても有効でした。
二国間なら調節しやすく、なによりアメリカは力のある民主国家で、8年以上大統領を続けることができないため侵略国家にもなりにくい。
こうして、日本はソ連や中国の脅威から守られ、近年に至るまで安全に経済を発展させることができたのです。