資本主義のアメリカと、共産主義のソ連。
この2大大国のにらみ合いが、朝鮮半島での戦争に発展します。
1950年に朝鮮戦争がはじまると、日本は物資を輸出して経済が急速に発展します。
一方、日本占領政策を行ったマッカーサーは、朝鮮戦争での戦いの指揮をとり、重要な事実を知ることとなるのです。
第二次世界大戦以降、アメリカとソ連では冷戦状態が続いていました。
アメリカにもソ連にも核兵器がある。
原子力爆弾の威力を知った両国は、核兵器で戦争すれば人類が滅びることを知っていました。
そのため、お互いに核開発は進めても戦争を仕掛けようとはしなかったのです。
しかし、1950年。
突如としてアメリカとソ連の戦争がはじまります。
舞台は朝鮮半島。
きっかけとなったのは、アチソン国務長官の講演でした。
「アメリカの西太平洋における防衛線は、アリューシャン列島から日本列島、沖縄に至る線である」
当時、朝鮮半島はアメリカが支援する韓国とソ連が支援する北朝鮮に分かれていました。
しかし、この発言で、アメリカは韓国を防衛しないことになったのです。
ソ連のスターリンはこれをチャンスととらえます。
「猛威を振るった日本軍は朝鮮半島からいなくなった。
加えてアメリカも韓国を捨てた。
日露戦争以来の大チャンス到来だ!!」
こうして、北朝鮮の金日成(キムイルソン)に韓国へ侵攻することをO.K.します。
あわてたアメリカ。満州の重要さを知る
1950年6月。
北朝鮮は韓国との国境である38度線を越え、進軍!!
アメリカは突然の事態に慌てます。
「共産主義国の侵攻を放置すれば、朝鮮半島が取られてしまう。
そうすれば日本も危うくなる。」
こうしてアメリカは韓国に出兵。
朝鮮戦争がはじまります。
ソ連と中国の援助を受けていた北朝鮮は、圧倒的な力を見せます。
朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められたアメリカ軍。
しかし、マッカーサーの指揮の下でソウルを奪還し、北朝鮮を押し返すことに成功します。
ところが、朝鮮戦争はまだ終わらない!!
北朝鮮側はソ連や中国内陸部から次々と兵器や人員を補充してきたのです。
これを見たマッカーサーは、トルーマン大統領に
「満州を空襲して、敵の本拠地を粉砕しなければ戦争に負けてしまう」
と進言します。
しかし、ソ連との原爆戦争になることを恐れたトルーマン大統領は、この案を却下。
マッカーサーを解任します。
その後、アメリカ軍は北朝鮮側の軍に押し戻され、もとの38度線で休戦となります。
日本の戦いは防衛戦争だった!!
朝鮮戦争で満州を攻めるべきだと言ったマッカーサー。
韓国で共産主義国の軍隊と対峙したことで、日本が感じていた脅威を理解しました。
北からは巨大な勢力が朝鮮半島に降りてきている。
日本を守ろうと思えば、朝鮮半島を守らなければならない。
朝鮮半島を守るには満州に出ていくしかない。
これに気づいたマッカーサーは日本にとって朝鮮半島がいかに重要な土地かが、やっと分かりました。
そして、1951年5月。
アメリカ上院の軍事外交委員会で、このような演説を行います。
「日本は4つの島の中に、八千人近い膨大な人口を抱えています。
そして、その半分が農業をしており残りの半分が工業生産に従事しています。
日本の労働力は量的にも質的にも優秀ですが、彼らには手を加えるべき原料がありません。
工場も労働力もあるのに、綿も羊毛も石油もスズもゴムもないのです。
しかし、それらのものがアジアの海域にはありました。
そんななか、貿易を封鎖され原料を断ち切られたら一千万人以上の失業者が発生するでしょう。
したがって、日本が戦争をしたのは、大部分が自国の安全を守る必要に迫られたためだったのです。」
こうして、マッカーサーが日本の正統性を認め、日本を悪だとしていたアメリカは意識を改めることになります。