満身創痍となった日本は和平の道を独自に探ることをやめ、ついにポツダム宣言を受諾して負けを認めます。
ただ、よく間違えられますが、ポツダム宣言は無条件降伏ではありません。
「有条件」での降伏でした。
ポツダム宣言を受諾するにあたり日本は様々な問い合わせをしています。
・天皇家を存続させる
・政治形態を決める権利は日本人にある
これらの回答を得て、日本はポツダム宣言を受け入れ、敗戦を認めます。
しかし、このあと問題が起こります。
連合軍最高司令官のマッカーサー元帥が、日本が無条件降伏したかのような占領政策を行ったのです。
昭和天皇の決断が被害の拡大を防いだ
ポツダム宣言を受け入れるにあたり、実は日本国内でももめていました。
陸軍上層部が、「負けているのは海軍で陸軍はまだ戦える」と訴えたのです。
しかし、実際にはもはや徹底抗戦などできる状況ではありませんでした。
九十九里浜に派兵した兵士には満足に鉄砲もいきわたらない状況でした。
ここで、陸軍上層部を押しとどめポツダム宣言受諾を決断したのが昭和天皇でした。
それまで、憲法上、沈黙を守っていた天皇がついに発言をします。
「敵は新たに残虐な兵器を使用し、大勢の罪のない人々を殺傷した。
その被害の大きさは計り知れず、このまま戦い続ければ、日本人が。
ひいては人類の文明が滅亡してしまう。
ただ、祖国のために命を落としたものたち、その遺族。
また、家を焼かれ職を失った者たちのことを思うと我が身を引き裂かれるようだ。」
昭和天皇が「終戦の詔書」でこのように述べ、日本はポツダム宣言を受諾します。