国内を開拓しつくしたアメリカは、新たな領土をアジアに求めていました。
しかし、すでにアジアで力を持っていた日本は邪魔な存在。
ヨーロッパ各国もアジアに進出していましたが、有色人種である日本はアメリカ国民の憎悪を向けるのに格好のマトでした。
しかも、国内では日本人の移民が西海岸の農地の多くを所有。
日本にはロシアのバルチック艦隊を沈めるほどの連合艦隊もあります。
アメリカにはそれに対抗する太平洋艦隊はなく、アメリカでは「日本軍襲来」のデマ記事が流れるほど日本を恐れていました。
そこで、アメリカのとった戦略が州ごとに排日移民法を成立させること。
これにより、日本人の移民を締め出そうとします。
それに対し日本政府は交渉を重ねて、なんとか「移民を送らない」というところまで譲歩します。
まだまだ人種差別の強かった時代
その後、日本は国際連盟で「人種差別撤廃条項」を提案。
人種差別をなくそうと働きかけます。
しかし、これは議長のウィルソン・アメリカ大統領の発言で否決されてしまいます。
すると、アメリカでは排日運動が勢いづき、1924年に「絶対的排日移民法」が成立してしまいます。
アメリカは国家全体で日本人移民を排除するという意思を示したのです。
この法律は日本人に大きな衝撃を与えます。
当時の日本人にはアメリカに対する期待や信頼があったのですが、この法律が成立したことでアメリカに対して敵対心が生まれます。
この感情は第二次世界大戦まで続き、日米開戦を知った日本人は「大変なことになった」と思ったと同時に、「これで気が晴れた」とも感じました。
第二次世界大戦後、「太平洋戦争の遠因はアメリカの移民の問題であり、近因は石油が禁輸されたこと」というようなことを昭和天皇がおっしゃいましたが、まさにその通りでした。