2人の天皇 と 三種の神器

<出典:wikipedia

それぞれの時代において、唯一無二の存在として、ただ一人、天皇が存在します。
しかし、かつて、天皇が同時に2人存在した時代がありました。

2人の天皇が君臨していた時代

天皇が2人同時に君臨していた時期は、大きく分けて2つあります。
一つ目は、平安時代の終わり。
そしてもう一つの時代とは、鎌倉時代末期から南北朝時代です。

平安時代に天皇が同時に2人君臨していたのは、1183年~1185年。
異母兄弟の安徳天皇と後鳥羽天皇でした。
安徳天皇の在位期間は1180年~1185年。
そして後鳥羽天皇の在位期間は、1183年~1198年です。

2人の天皇が同時にあった理由は、源平の戦いです。
平家は1183年に木曽義仲の軍に追い出され、安徳天皇と三種の神器を奉じて京から西国に逃げました。
そのとき、都に残っていた後白河法皇が、天皇に必要な三種の神器を持たないままに安徳天皇の異母弟・尊成親王(たかなりしんのう)を即位させて、後鳥羽天皇が誕生したのです。
しかし実際のところ、安徳天皇は譲位もしておらず三種の神器を持ったままでした。
事実上2人の天皇が存在することになったのです。

安徳天皇は、1185年の壇ノ浦の戦いで入水して亡くなり、三種の神器のうちの宝剣も共に海中に沈んだまま回収されませんでした。
のちになって後鳥羽天皇は、失った宝剣探しをさせています。
おそらく、皇位の象徴である三種の神器が揃わないまま即位した後鳥羽天皇は、大きなコンプレックスを持っていたのでしょう。

後醍醐天皇と足利尊氏が対立した南北朝時代

政治的な理由によって2人の天皇が在位していたのが、鎌倉末期から南北朝時代です。
1331年~1392年は、南北朝時代という名前からわかるように、朝廷は大覚寺統の吉野朝を建てた後醍醐天皇の南朝、持明院統として京都朝廷を推した足利尊氏の北朝に分れました。
その間57年の天皇並立時代があったのです。

南朝の天皇:後醍醐天皇、後村上天皇、長慶(ちょうけい)天皇、後亀山天皇
北朝の天皇:光厳天皇、光明天皇、崇光(すこう)天皇、後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇

分裂した王権は南北それぞれが正当性を主張。
南北朝の争いは全国に波及し、戦乱の絶えない時代でした。

この時代も三種の神器は重要な争点となりました。
足利尊氏が1336年に光明天皇の北朝を建てたとき、南朝の後醍醐天皇は、「北朝に渡した神器は偽物だ」として自己の正当性を主張しています。
また、南北朝時代の途中に一時的に南北朝が和睦したことがありますが、そのとき北朝の神器が南朝に移ってしまいました。
のちに再度南北で争ったときには、後光厳天皇・後円融天皇・後小松天皇の3天皇は神器なしで即位しています。
南朝が持っていた神器は、南北朝合一した1392年に南朝の後亀山天皇から後小松天皇に渡りました。

三種の神器の重要性

このように2人の天皇がいると、必ず問題になるのが三種の神器。
特に南北朝時代の天皇の正統性については、明治時代に「南北朝正閏論(せいじゅんろん)」と呼ばれる論争にもなりました。
最終的には明治天皇が三種の神器を保有していた南朝を正統と決定し、北朝を推した足利尊氏は、朝敵の汚名を長く被る事態にもなりました。

気になる現在の三種の神器ですが、鏡・勾玉・剣としてそれぞれ形代(かたしろ)とよばれる神器に準ずるレプリカが儀式に使われています。
実物については、現在の天皇も実際に見ることが許されません。
現存しているのかどうかは誰も確認できないのです。
草薙剣は源平の壇ノ浦の戦いで水没して以来実物は現存しておらず、八咫鏡と勾玉は、古代からの物が何らかの形で現存していると言われています。

今後、天皇制がどのように続き、三種の神器が継承されていくのでしょうか。
それは、私たちの子孫のみ知るところでしょう。

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