泰平の 眠りをさます 上喜撰(蒸気船) たった四はい(四隻)で 夜も眠れず |
中学や高校の日本史の授業でこの歌を目にした覚えはありませんか。
これは1853年の米軍人ペリーが浦賀に4隻の軍艦(蒸気船)を率いて開国を要求した時のことを、
宇治の高級茶・上喜撰を4杯飲んで眠れないことに掛けた時事狂歌です。
元禄文化の中心地は上方でしたが、その後江戸を中心として発展した庶民の文化を化政文化と呼びます。
その時に大流行したものの一つであるのが天明年間の狂歌です。
狂歌とは
天明狂歌を形容するのに挙げられるのは、歯切れのよさ、洒落(しゃらく/さっぱりとしていること)奔放といった「粋」の美意識。
江戸が日本の中心都市となっていくにつれて、この「粋」こそ江戸文化の核となった独特のテイストです。
上記のように狂歌とは、短歌の一種ですが、社会風刺や滑稽な内容を盛り込んだ五・七・五・七・七の音で構成されています。
世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといふて 夜もねられず (大田蜀山人) |
これは松平定信によって実施された「質素倹約・文武奨励」を含む寛政の改革を皮肉り、うんざりした人々の気持ちを正直にあらわした歌です。
誰にでも分かりやすい内容でありながら、そこに皮肉とおかしみが凝縮されています。
中には『古今和歌集』などの名作を踏まえた、かなりの教養に裏打ちされている作品も見られます。
ジャンル別 笑える狂歌
では歌の種類で分けていくつかの狂歌を見てみましょう。
1. 道歌
欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる(高橋泥舟) |
世の中を 恥じぬ人こそ 恥となり 恥ずる人には 恥ぞ少なき |
人の道を詠う道歌に「なるほど」と納得していただけるのではないでしょうか?
2. 時事的内容の歌
上からは 明治だなどと いふけれど 治明(おさまるめい)と 下からは読む |
政府からの高圧的な変革が行われた明治には、不自由になった庶民の不満がくすぶっていました。
白河の 清きに魚も すみかねて もとのにごりし 田沼恋しき |
有名な作品。
松平定信による寛政の改革があまりにも厳しく、清廉潔白な改革よりも、賄賂が飛び交ったといわれる田沼意次時代の世の中のほうが良かった、という歌です。
お上の気持ちも考えも知らず、庶民は身勝手なことを言うものですから。
3. 本歌のある歌
むらさめの 道のわるさの 下駄の歯に はら立ちのぼる 秋の夕ぐれ |
本歌は、「村雨の 露も未だ干ぬ 槇の葉に 霧立ち昇る 秋の夕暮」(『新古今和歌集』寂蓮法師)。
小倉百人一首にも選ばれた名歌を踏まえておかしな歌が出来あがりました。
歌よみは 下手こそよけれ あめつち(天地)の 動き出(いだ)して たまるものかは (宿屋飯盛) |
『古今和歌集』序文で和歌の素晴らしさをたたえた紀貫之の「和歌は天地をも動かす」との言葉尻を捕らえた狂歌です。
歌で天地が動くなら、歌は下手な方がよい、と思いきりからかいました。
作者 宿屋飯盛(やどやのめしもり)とは、狂名(狂歌用のペンネーム)であり、本名は旅籠屋の主人で市井の国学者・石川雅望(まさもち)でした。
この歌を目にした高名な国学者平田篤胤(ひらたあつたね)は「歌道の神聖を侮辱した!」と激怒しますが、庶民たちはこぞって作者の味方をしたのだそうです。
4. ただおもしろい歌
世の中は 色と酒とが 敵(かたき)なり どうぞ敵に めぐりあいたい (大田蜀山人) |
プライドもなく、なりふり構わないところが情けなくて、可愛いですね。
名月を とってくれろと 泣く子かな それにつけても 金の欲しさよ |
風雅な名歌の下の句をことごとく「それにつけても 金の欲しさよ」に替えて、趣きをこっぱみじんにしてしまうこの破壊力。
この流行した言葉遊びは「金欲し付合」と呼ばれます。
みなさんも試してみますか?
最後に化政文化における狂歌の中心となった、幕府官僚兼狂歌師だった四方赤良(よものあから/またの名を大田蜀山人)の辞世の歌で締めましょう。
今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん |
自分の死までも笑い飛ばす、これが江戸っ子の美学なのかもしれません。