<出典:wikipedia>
近年、源頼朝の肖像画だとされていた神護寺の絵が、足利尊氏の弟である足利直義ではないかと言われるようになりました。
では、源頼朝はどのような顔をしていたのか?
気になりますね。
今のところ、前の肖像画に代わる肖像画は見つかっていません。
しかし、それではあきらめきれない人に、ぜひ見ることをお勧めしたい仏像があります。
瀧山寺の聖観音菩薩立像です。
瀧山寺 愛知県岡崎市にある瀧山寺(たきさんじ)。 西暦600年代の奈良時代に創建された天台宗の寺院です。 源頼朝の鎌倉幕府と大変ゆかりの深い寺で、1300年以上の歴史と多くの文化遺産を守り伝えています。 宝物殿には運慶・湛慶(たんけい)による重要文化財、「梵天・帝釈天・聖観音」の三尊像が祀られています。 |
<出典:瀧山寺HP>
聖観音は寄木造りという木を組み合わせて作る方法で造像され、蓮の花を左手に持ち、右手をそれにそえて蓮華座(れんげざ)といわれる蓮の花の形をした台座の上に立っています。
じっくり仏像を見つめれば、ハリのある緊張感と充実感がみなぎる体躯、目尻が切れ上がった力強い顔立ちがわかるでしょう。
これらの特徴にから、この仏像が慶派(名前に「慶」のつく仏師を多く輩出した、平安時代末期から江戸時代の仏師の一派)の正統な仏師によるものだということが分かります。
鎌倉時代に作られたこの聖観音像は、運慶とその子・湛慶(たんけい)によるものだと考えられています。
ちなみに、像の表面は鮮やかに彩色されていますが、これは江戸時代末から明治時代に施された補彩で、造像当時のものではありません。
X線写真で見える! 源頼朝のヒゲと歯
熱田宮司 藤原範忠(ふじわらののりただ)の子である寛伝(かんでん)は源頼朝の従兄でした。
寛伝は、1099年に急逝した頼朝のために、その菩提を弔おうと1201年に惣持禅院に聖観音像を安置しました。
この聖観音は、頼朝の等身大像で、内部に頼朝の顎髭(あごひげ)と歯が納められていると言われていました。
そして、近年、X線による透視撮影の結果、像の頭部に本当に小さな納入品の紙包状のものが針金で吊されていることが判明しました。
寛伝は聖観音像に頼朝自身を見たに違いありません。
頼朝の像は、彼の身体の一部を内蔵することで、源頼朝の「心」が加わったのでしょう。
寛伝はのちに瀧山寺住職を務めました。
その時にこの聖観音像も一緒にこの寺にやって来たのでしょう。
今は静かに佇む聖観音像。
源頼朝の肖像画はなくとも、この観音像の前で鎌倉幕府初代の征夷大将軍・源頼朝をしのんでみてはいかがでしょうか。