はじめに
各種の申込書や履歴書、仕事での資料など、わたしたちの日常には多くの文書があふれています。
なかには絶対に記載内容が間違っていてはいけないような重要なものもあり、必ず正誤をチェックしなくてはなりません。
そんな作業を「校正」といい、出版や印刷の業界では「校正者」という校正のプロが、情報の正確性を守るため目を光らせています。
校正という作業は、文字の登場と時を同じくして発生したと考えられていますが、日本の歴史上初めてその存在を確認できるのは、奈良時代のことになります。
では、日本最古の校正者とはどのような人たちだったのでしょうか。
今回は奈良時代における文字チェックのプロについて、ご紹介したいと思います。
大量の経典が筆写された
奈良時代の校正者は、『正倉院文書』の記録によってその存在が知られました。
国策として仏教の興隆を推進していた当時、大量の経典が必要とされていました。
当然コピー機などない時代ですから、木版印刷を除いてはすべて手書きによって経典を筆写していました。(写経)
東大寺には、そんな写経を専門に行う機関が設けられていました。
「写経司(のちの写経所)」という部署では、能筆の「写経生」という専門家が、日々経典の筆者に勤しんでいたのです。
生身の人間のすることですから、当然集中力が切れたり疲労が溜まったりして書き損じたり、大事な一行を飛ばして書いてしまったりといったミスが発生することがありました。
ですが神聖な経典に間違いは許されません。
そこで、「校生(こうしょう)」という校正専門の技術者が布陣して、写経生が筆写した経典に誤りがないかをチェックしていたのです。
これは基本的に、現代の校正者と全く同じ作業内容となっていたようです。
現代の校正者に通じる仕事ぶり
文字チェックの専門家たる校生でしたが、そこはやはり写経生同様に人間のすること、校生にも見落としなどのミスがありました。
そのため、チェックは二重または三重にかけてより厳正を期していたのです。
現代でいうところの「初校」「再校」「念校」といった順序にあたり、絶対に失敗を許さないシステムが自然にできていました。
しかも、当時は紙が大変な貴重品であり、書き損じというだけでも相当な損害でありました。
そのため写経生はもちろん、校生もミスを出すと減給などのペナルティが課せられました。
一日中同じ姿勢で机に向かって筆を動かし続ける仕事は大変に過酷で、食事内容や衣服の衛生などの労働条件を改善する要求も出されていました。
見えないところで情報の正確性を守る縁の下の力持ち、という点において、奈良時代の校正者も現代と変わらない重責を担っていたのです。