はじめに
『源平盛衰記』で語られている、文覚発心譚。
ここには僧・文覚(出家前は遠藤盛遠)がどうして出家したのか?というエピソードが載っています。
今回はそのエピソードを、袈裟御前という女性の強い生き様とともに紹介します。
恋心から悲劇へ
それは1137年、春の出来事です。
摂津国渡辺(現在の大阪府)で行われた橋供養で、遠藤盛遠は一人の美人を見つけました。
彼女の名は袈裟御前。当時16歳。
彼女にすっかり夢中になった盛遠ですが、実は盛遠と袈裟御前はいとこ同士。
盛遠は叔母である袈裟御前の母親・衣川にこのことを相談することにします。
これが悲劇の始まりでした。
母・衣川が人質に!
袈裟御前は14歳の時に源渡と結婚していたので、衣川は「あの子はもう人妻だから諦めなさい」と盛遠を諭します。
すると盛遠は刀を抜いて「この気持ちが叶えられないなら、あなたを殺す」と衣川を脅しました。
これを受けて、衣川は袈裟御前と会うと盛遠のことを話します。
母親を人質に取られているわけですから、袈裟御前は盛遠の気持ちに応えると言いました。
衣川がそれを盛遠に伝えると、袈裟御前のところにすぐ手紙が届きました。
いつ会いに行けばいいかという内容です。
袈裟御前はこの手紙に、こう返事をします。
「夫を殺してくれなければ会えません」と……。
袈裟御前は夫を・・・
袈裟御前は手紙に、「今夜は夫に髪を洗わせて寝かせますから、髪を確かめてください。髪が濡れていれば、それが夫です」 とも書きました。
この夜、袈裟御前は夫・渡にお酒を飲ませて寝かせます。
渡が完全に眠ったところで、袈裟御前は渡に自分の着物を着せると、自分は男物を着ました。
そして、最後に自分の髪を濡らして眠ります。
さて、盛遠が屋敷にやってきました。
袈裟御前に言われた通り、暗闇の中で枕元を探ると、濡れた髪に触れました。
盛遠はその髪の持ち主の首に刀を振り下ろし、断ち切った首を掴んで屋敷から逃げます。
しかし、明るい場所でその首を見ると、それは殺すはずだった袈裟御前の夫・渡ではなく、盛遠が愛する袈裟御前のものだったのです。
袈裟御前は母親を見捨てることはできないけれど、だからといって夫を裏切ることもできませんでした。
だから自分が死ぬと決めて、盛遠を騙したのです。
盛遠は袈裟御前の覚悟が分かると、屋敷へ引き返しました。
盛遠、出家する
盛遠は渡にすべて打ち明けました。
そして、自分を殺して恨みを晴らしてくれと言います。
渡は「出家して袈裟御前を一緒に弔おう」と盛遠を殺すことはせず、彼が自害することも止めました。
こうして盛遠は出家し、文覚となるのです。
自分の身を犠牲にしてまでも、家族を守った袈裟御前。
その思いが渡にも伝わって、盛遠を殺さなかったのではないでしょうか?
袈裟御前の選択はとても悲しいものですが、彼女が守りたかったものは守り切りました。
強すぎる意志から分かるのは、愛する人を守りたいと思った時こそ、人はどんな選択でもしてしまえるのかもしれないということですね。