はじめに
戦闘の規模が大きくなっていった戦国時代、大量の兵員が徴兵され、戦闘や築城などに従事していました。
兵員へは武器や防具などの供給が必要となりましたが、何より重要だったのは食料の確保でした。
当時は基本的に戦闘地域での略奪が公然と行われており、食料は現地調達に頼ることも多かったそうですが、必ずしも十分な補給線が確保されていたわけではありませんでした。
そこで命綱となったのが、各兵員の装備品として携行した携帯食糧の類。
現代風に言えば「コンバットレーション」です。
携帯食料のなかには、生活の知恵が詰まったものもあり、現代でも馴染み深いものもあります。
ここではそんな、戦国時代のコンバットレーションについてご紹介しましょう。
梅干
疲労を回復させ、塩分を含んだ梅干はコンバットレーションにはうってつけの食品でした。
酸味によって唾液の分泌を促し、解熱作用や殺菌効果などもあるため薬用としても高い価値をもっています。
ひとつひとつは小粒で持ち運びがしやすく、大量に生産できたため重宝されました。
さらに保存性を高めるために中の種を抜き、乾燥させたものに糸を通して携行したとも考えられています。
徳川御三家の一角、水戸は梅の名所としてよく知られていますが、これは梅花の文化的な美しさを愛でるだけではなく、梅の実を加工して梅干を備蓄し、戦の際の兵糧にするという意味も込められているといいます。
芋がら縄
「芋がら縄」とは、サトイモの茎である「ズイキ」を用いて編まれた縄のことです。
ズイキを濃い味噌汁で煮てから干したものを繊維状に裂き、それでロープを編むのです。
何かを括りつけるという通常の使用法で兵装などに巻き付けておきますが、いざというときこれが非常食になりました。
素材がズイキなのでそのままかじることもできますが、あらかじめ味噌味がついているためお湯で戻すと簡易的な味噌汁に早変わりするという優れものでした。
ズイキはいざというときの兵糧としても重宝されたことが知られており、籠城戦に備えてたたみ裏を藁ではなくズイキで作った例もあるといいます。
焼き味噌
高たんぱくで栄養価も高い大豆製品の味噌は、戦国時代の携行食料としても大いに用いられました。
焼き味噌にすることで保存性を高め、そのまま口にすることもできればお湯に溶かして味噌汁にすることもできました。
玉状に丸めて小分けにし、持ち運びやすいようにしていたといいます。
現代でも地域ごとにさまざまな味わいの味噌がありますが、これらには各国の戦国大名たちが戦闘糧食として、製造を奨励したものの伝統をひく品も多くあります。