<出典:wikipedia>
はじめに
日本史上、もっとも人気のある人物のひとりとして必ず名前が挙がるのが坂本龍馬。
痛快無比な生き様や先進的な思想、悲劇的な最期は、数々の小説や映画などでもとりあげられています。
「英雄」と呼ぶにふさわしい人物ですが、坂本龍馬には彼と同じくらい魅力的な多くの仲間や協力者たちがいました。
そんな龍馬の仲間の中に三吉慎蔵(みよししんぞう)という人物がいます。
龍馬とともに死地をくぐり抜け、龍馬が自身の死後、最愛の人の無事を託した男です。
今回はそんな三吉慎蔵についてご紹介します。
三吉慎蔵とは
三吉慎蔵は1831年(天保2年)、長府藩に生まれました。
生家は藩の剣術師範・小坂氏ですが、やがて二回他家の養子となり、「三吉」はその最後の姓です。
名門の藩校「明倫館」に学び、「宝蔵院流槍術」を得意として24歳の時に免許皆伝を受けています。
おりしもの攘夷運動のなか、薩長同盟を推進していた坂本龍馬と知り合った慎蔵は藩の下命により、京都の情勢探索に龍馬とともに赴きます。
このことが、慎蔵を歴史の表舞台に押し上げていくきっかけとなりました。
ともに「寺田屋事件」を切り抜けた、龍馬の命の恩人
薩長同盟締結直後の龍馬にとって、最大の危機となったのが世にいう「寺田屋事件」です。
京都伏見の旅館・寺田屋に、身分を偽って投宿していた龍馬たちを伏見奉行の捕り方が包囲。命を懸けた戦闘に発展した出来事です。
この時、迫り来る捕り方たちに対し龍馬は高杉晋作から贈られたピストルで応戦。
そして短めの手槍をとってともに奮戦したのが、宝蔵院流槍術免許皆伝の三吉慎蔵でした。
通常、せまい室内では槍で戦うことはセオリーにありません。
しかし、天井の低さに不覚を取らないよう、精妙な槍さばきで伏見奉行の捕り方たちをけん制した慎蔵は、龍馬とのコンビネーションで脱出の機会を窺いました。
暗闇の中、射撃の精度を高めるために龍馬は腕を慎蔵の肩に置き、狙いを定めたといいます。
龍馬は負傷しながらも慎蔵とともに脱出に成功、慎蔵は薩摩藩邸に救援を求め、ついに絶体絶命の危機を脱することに成功したのです。
龍馬の死後、「おりょう」を坂本家に送り届けた
龍馬の妻である「おりょう」も、大変有名な人物ですが、彼女は寺田屋騒動で龍馬たちの脱出を助けたことがよく知られています。
そして、龍馬が自分の身に何かあった時に、彼女を保護してもらうよう託したのが、ほかならぬ三吉慎蔵でした。
慎蔵は龍馬の遺言どおりにおりょうを竜馬の実家である坂本家に無事送り届け、維新後は藩の要職や宮内省の御用係などを歴任しました。
晩年は故郷の長府に戻り、1901年(明治34年)、71歳の天寿を全うしました。