はじめに
映画やマンガなどで、忍者がさまざまな形に手指を組んで術を発動するシーンをご覧になったことがあるかと思います。
「印(いん)を結ぶ」と呼ばれるこの動作は本来は仏教、特に密教のジャンルで行われてきた作法でした。
これは手指で意味のある形を再現することで、ある種の法力を発揮するものとして用いられています。
たとえば仏教ならどの宗派でもお参りの際には両手を合わせて合掌を行いますが、この合掌も印のひとつなのです。
では、密教の行者は印を結ぶことによってどのような法力を発揮しているのでしょうか。
今回は「護身法(ごしんぼう)」という作法を例に、その世界をのぞいてみましょう。
印と真言、そしてイメージの三位一体が重要
まず、印はそれ単体で用いるわけではなく、必ず「真言(しんごん)」と「観想」を伴うことがポイントです。
真言は声に出す呪文のことで、観想は本尊などを強くイメージすることです。
密教では声などの音にも聖なるエネルギーがあると考えられています。
印:身体的な表現
真言:音
観想:強いイメージ力
上の3つが一体となって初めて効果を発揮すると考えられています。
印を「身密」、真言を「口密(くみつ)」、観想を「意密」ということから、これらが合わさって本尊と一体となることを「三密加持」と呼んでいます。
“仏の甲冑” をまとう、行者の絶対防御
密教では仏を迎えてお祀りするための十八種の作法があり、これを「十八道法」と呼んでいます。
ごく簡単にいうと、行者自身を守り、道場を厳重に結界し、仏を迎えて供養をするというもので、それぞれの段階で十八種類の印と真言が用いられます。
その第一段階を「護身法(ごしんぼう)」、または「荘厳行者法(しょうごんぎょうじゃほう)」といいます。
これは行者自身を仏の力で守護し、行法を実施する際に魔の侵入や妨害を撥ね退けるという意味を持っています。
密教では最も強力な護身の作法とされており、いわば仏法による“絶対防御”であると考えられています。
印の写真や真言は書物にも掲載されていますが、その真意は師僧からの口伝によるところが大きく、みだりに行うべきではないとされています。
大まかに説明すると、五種類の印と真言で構成されており、「身・口・意」の三つの業(カルマ)を浄化して、「仏部・蓮華部・金剛部」の各仏尊の力を得て、最後に仏の甲冑をまとうという流れになっています。
真言宗などの法要では僧侶が祈りの前に必ず行いますが、通常は袈裟で手を隠すのが作法ですので、なかなか実見するのは難しいかもしれません。