<出典:wikipedia、最澄>
はじめに
現在、日本には多くの仏教宗派が存在しています。
特定の仏尊への信仰を重要視したり、座禅を修行の中心としたり、祈りを行うことを第一義としたりとさまざまなアプローチで仏法を尊んでいます。
しかし、鎌倉時代以前までの日本にはここまで多くの宗派はありませんでした。
鎌倉時代に登場した新しい仏教宗派群を「鎌倉新仏教」という呼び方をすることがありますが、それらの多くはあるひとつの宗派から発生したのです。
それは「天台宗」。
比叡山延暦寺を大本山とする、伝教大師・最澄によって開かれた宗派です。
天台宗には、実にさまざまな仏法の教えが伝わっており、僧侶はそれぞれの思う分野について修行・研究を重ねることができました。
そんなジャンルの多様さが、新たな仏教の潮流を生み出す母胎となったのです。
そんな天台宗について、その概略をみてみましょう。
「天台宗」とは
天台宗は正式には「天台法華円宗(てんだいほっけえんしゅう)」といい、その名の通り「妙法蓮華経」、いわゆる「法華経」をメインテキストとしています。
ごく端的に言えば法華経の教えだけで悟りへと至ることができるとされ、これを「法華一乗」といいます。
天台宗の教えを中国から持ち帰ったのは平安時代初めの僧侶、「最澄」であり、延暦23年(804年)から約2年をかけて学んだ教学を日本で広めたものです。
当時の日本には「南都六宗」と呼ばれる、いわゆる奈良仏教の勢力があり、最長は教義の解釈や僧の既得権益などの問題で大いに衝突したといいます。
日本では僧侶になるために「戒」を受ける施設である「戒壇院」が東大寺にしかなく、最澄はこれを比叡山にも設けるべく運動を起こします。
その戒の内容は南都六宗のものとは異なったため、旧来の仏教勢力からの強い反発を受けたのでした。
しかし、最澄の姿勢はより多くの僧侶志望者に道を開くこととなり、仏教の隆盛に多大な貢献を果たしました。
「四宗兼学」とは
天台宗の大きな特徴として、「四宗兼学(ししゅうけんがく)」というスタイルがあります。
つまり、「法華経」「禅」「念仏」「密教」などのあらゆる教えを包括するということであり、仏教のもつさまざまなカテゴリーの科目を学ぶことができたのです。
「法華経」は天台宗の根本経典ですが、この経典への信仰はやがて強力な潮流となり、ただ一心に法華経を奉ずるという宗派も生まれました。
また、「禅」はいわずと知れた「禅宗」の瞑想法であり、これもやがて重要な仏教勢力へと発展します。
「念仏」は阿弥陀如来への信仰であり、ここから浄土宗系の宗派が登場します。
「密教」は空海の真言宗で有名で、祈祷や儀式を得意分野としています。
真言宗の密教を「東密」というのに対し、天台宗のものは「台密(たいみつ)」と呼ばれています。
このように、あらゆる教えを包括する天台宗は「仏教の総合大学」と形容されることもあり、天台の教えをベースとしてさまざまな宗派が誕生していったのです。