兄か夫か?悩める戦国の姫君・小谷の方

<出典:wikipedia

はじめに

“小谷の方”(おだにのかた)と聞くと、一体誰だろう?と思う方が多いかもしれません。

“お市”という名前ならどうでしょうか?

「小谷の方=お市」は、あの有名な戦国武将・織田信長の妹です。

信長の妹として生まれ、姫として織田家を背負っていた彼女の人生は、実に波乱万丈でした。

織田家に生まれた宿命

お市は1547年に、織田信秀の娘として生まれます。

お市には多くの兄弟姉妹がいましたが、彼女の兄といえば信長です。

信長は今でも名前の残る大人物ですが、その信長の大きな力となったのがお市でした。

 

信長は桶狭間で今川義元を倒すと、尾張の一大名から急成長していきます。

しかし、そうなってくると、武力だけでは解決できない問題も出てきます。

戦国の世を渡り、天下を目指す信長には、他の大名たちとの外交が必要になってきたのです。

当時、大名同士の結びつきを作るため、より強くするために結婚させる――いわゆる政略結婚がありました。

お市も織田家に生まれた姫として、1567年に浅井長政と結婚することになります。

 

織田家の姫として嫁いだお市には、大きな責任がありました。

大名の妻という立場で情報収集を行い、“実家”である織田家に――兄・信長の天下取りに貢献するという……。

妻だからこそ、夫は気を抜けなかった!

さて、大名に嫁ぐ姫たちは、実家のために嫁いでいくものです。

当時は「嫁いだ夫の実家よりも、自分の実家のほうが大切」という価値観でした。

“一期分”という財産分与もあり、これは「妻が亡くなった際には、結婚する時に持ち込んだ財産に夫の権利はなく、妻の実家に戻される」というものです。

現在の結婚のように、“個人”として相手の家と結びつくのではく、“○○家の姫”として、実家の代表者的な役割を持っていたのが当時の結婚だったのです。

ですから、大名の妻とは優秀な女性である必要がありました。

お市は優秀な女性であったからこそ、浅井家へと嫁ぐことになりました。

 

この頃の教訓集には、『(子どもをたくさん産んでくれたとしても)妻には気を許してはいけない』というようなものがあります。

信長と同様に有名な武将・武田信玄の残した家訓(『甲州法度之次第』)にも、『妻と二人きりでいる時も、刀をそばに置くことを忘れてはならない』とあります。

これは現れるかもしれない敵への警戒だけでなく、妻に対しての警戒でもあります。

大名の妻は“実家”のために動いていました。

お市も、実家である織田家のため、ある行動を起こします。

お市のひらめき!“袋の○○”

1570年、信長は朝倉攻めを決意します。

この時、お市の嫁いだ浅井家の領地を通りました。

朝倉家とは昔から親交があった浅井家――お市の夫・長政は、このことによって微妙な立場になります。

馴染み深い朝倉家に味方するか?婚家として繋がりのできた織田家に味方するか?

悩んだ末、長政は朝倉家に味方すると決めました。

さて、このことはもちろん、織田家の人間であるお市には知らされません。

しかし、お市は城内の様子で気づきます。

兄に伝えようと思いますが、その手段がありません。

手紙などを送れば、もちろん怪しまれてしまうからです。

そこで、お市は機転を利かせて“ある物”を送ります。

それは小豆でした。

お市は「兄に陣中見舞いとして、小豆を送りたい」と言います。

信長と敵対することは知らないお市に、「だめだ」とは言えませんから許可が出ます。

こうしてお市は言った通り、袋に小豆を入れて送ります。

手紙などは入れずに、中身は小豆だけです。

これを受け取った信長は、浅井の領地を通らずに退却します。

お市は小豆だけを送りましたが、その小豆を入れた袋の上下を、縄で結んでおきました。

それは“袋のネズミ”ということを表していて、つまり「朝倉と浅井が挟み撃ちしようとしています」というメッセージを込めていたのです。

お市からの、この機転の利いた“陣中見舞い”のおかげで、信長は難を逃れることができました。

その後、信長による攻撃を受け、長政は小谷城で自刃します。

お市、そして長政との間に生まれた3人の娘たちは、信長に引き取られて清州城で過ごすことになりました。

お市が為したこと

兄・信長の死後、お市は柴田勝家と再婚します。

しかし、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れたため、勝家は自刃。

勝家と共に、お市も37年の生に幕を閉じました。

お市は、秀吉に3人の娘(茶々、初、江)の保護を頼んでいました。

彼女が遺した“織田家”の血――この三姉妹は、その後の歴史に大きく関わることになります。

戦国の世を“織田家”の姫として、お市は生き抜いたのです。