2017年– date –
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明治時代|1902年 日英同盟成立
三国干渉の後、ロシア海軍が遼東半島沿岸や朝鮮西海の制海権を握ってしまいます。 これは日本にとって大きな脅威。 国内では開戦の気運が高まりますが、日本がロシアに勝てる可能性はありませんでした。 そんな中、日本にとって思わぬ味方が現れます。 な... -
明治時代|1900年 北清事変(ほくしんじへん)
「三国干渉」のあとの中国(清)は、西洋諸国から領土を好きなように食い荒らされてしまいます。 そのため国内では白人排斥の感情が高まり、義和団(ぎわだん)という宗教集団ができます。 義和団は「中国を助け西洋を滅ぼす」とか、「天に代わって正義を... -
明治時代|1896年 北里柴三郎がノーベル賞候補に挙がる
1896年。 ノーベル賞第一回医学賞の候補に北里柴三郎の名前が挙がりました。 実際に受賞したのはドイツのベーリングでしたが、明治維新からわずか30年で日本から優秀な人材が現れ始めたのです。 当時、江戸幕府や明治政府は多数の留学生を海外に出... -
明治時代|1895年 三国干渉
日清戦争の講和条件として、日本は朝鮮を完全な独立国として世界に認めさせました。 また、遼東半島と台湾を清から手に入れることになりました。 しかし、清が退いたら今度はロシアが露骨な干渉を始めます。 ロシアの思惑 ロシアにはアジア大陸を南下して... -
明治時代|1895年 下関条約を結ぶ
日清戦争に日本が勝利すると、1895年に下関で講和会議が開かれました。 ここで決まったのは、大きく分けて3つ。 1、朝鮮の独立承認 2、遼東半島・台湾島の割譲 3、賠償金2億両の支払い こうして、朝鮮は独立し大韓帝国が成立しました。 実は、朝鮮に皇... -
明治時代|1894年 日清戦争
朝鮮半島が欧米…、特にロシアの手に落ちて植民地化したら、日本に将来はない。 そう感じた日本政府は、朝鮮と交渉を続けていました。 しかし、朝鮮は交渉を拒絶。 かえって排日の感情が高まります。 それでも日本政府は熱心に近代化を働きかけ、1876年にや... -
明治時代|1890年 教育勅語を発布
憲法には国家を運営するにあたって、基本理念が必要です。 しかし、大日本帝国憲法は、理念についての記載が不十分でした。 そこで、1890年に教育勅語が作られます。 戦前の義務教育では大日本帝国憲法のことをほとんど教えていませんでした。 その... -
明治時代|1889年 大日本帝国憲法発布
自由民権運動が激しくなったため、その勢いに押されて政府が大日本帝国憲法を制定した! 一般的にはこのように言われていますが、実はもう一つ大きな理由があります。 当時の日本は江戸時代に結んだ外国との不平等条約に悩まされていました。 それを解消す... -
明治時代|1877年 西南戦争勃発
西郷隆盛が官職をやめた後、薩摩を中心とした士族が西郷を担いで反乱を引き起こします。 これが、日本最後の内乱。西南戦争です。 当時、特権を剥奪された武士の不満が高まっていました。 西郷と同じく征韓論を主張していた江藤新平が佐賀の乱を起... -
明治時代|1876年 征韓論が退けられる
1860年。 ロシアは沿海州(えんかいしゅう)を中国(清朝)から奪ってウラジオストクに港を開きます。 当時、ロシアは徐々に南下。 陸伝いに勢力を広げていました。 この姿を見た日本は朝鮮半島の重要性を理解します。 このままロシアが南下し、ロシアが朝...