2017年– date –
-
明治時代|1871年 岩倉米欧使節団の派遣
強力な武器と、高度な機械。 これらを使う白人を見て、日本人以外の有色人種は無力感を抱きました。 ところが、日本人は卓越した西洋文化に好奇心を抱き、知識と技術を吸収。 植民地化も防いで国家の独立を守りました。 これこそ、明治維新の最も重要な意... -
明治時代|1868年 戊辰戦争
新政府軍と旧幕府軍のあいだで起きた鳥羽・伏見の戦い。 旧幕府の兵力1万5千に対して、新政府軍は約5千でした。 しかし、薩摩側が朝廷の後押しを受けていたため新政府は官軍、旧幕府軍は賊軍という肩書でした。 これにより、幕府軍は士気がそがれ徳川慶喜... -
江戸時代|1867年 大政奉還と小御所会議
徳川慶喜(よしのぶ)が1867年10月に大政奉還を申し出ます。 これは、徳川幕府にとって致命的なことでした。 幕府が諸大名に対して力を持っていたのは、徳川家康がすべての武家を支配するものとして征夷大将軍となり、さらに太政大臣になって公家を... -
江戸時代|1860年 桜田門外の変
黒船来航に悩む幕府に強力な助っ人、中浜万次郎(なかはままんじろう)が現れます。 万次郎は海で遭難しアメリカの捕鯨船に救助されたあとアメリカ本土に渡り生活していました。 この万次郎が帰国すると、幕府はいろいろ話を聞いて、アメリカの真意を聞き... -
江戸時代|1853年 ペリー来航
アメリカのペリーが黒船で浦賀にやってきます。 この頃日本近海に現れたのはペリーだけではありませんでした。 1804年。 ロシアのレザノフが通商を求めて長崎に来航。 1808年。 イギリスの軍艦フェートン号が長崎に侵入。 など・・・。 これ... -
江戸時代|1841年 天保の改革
松平定信が11代将軍の徳川家斉(いえなり)と対立して、「寛政の改革」はわずか6年で終わりを告げました。 世の中が再び自由を取り戻すと、江戸文化が活気を取り戻します。 『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』や『南総里見八犬伝』、『に... -
江戸時代|1827年 『日本外史』を定信に献上
幕末に生じた尊王思想。 それにもっとも影響を与えた歴史書が頼山陽(らいさんよう)の著した『日本外史』でした。 頼山陽は朱子学者である頼春水のもとに生まれます。 日本の歴史書が好きで、若いころから『日本外史』書き始めていました。 文章が... -
江戸時代|1787年 寛政の改革
田沼意次が失脚すると、つぎは松平定信が老中になり寛政の改革を実行します。 田沼はもともと低い身分の人物でした。 身分が高くて有能な人間にとって、これは非常に面白くない!! この思いは松平定信にもありました。 徳川八代将軍吉宗の次男の子... -
江戸時代|1772年 田沼意次が老中になる
8代目将軍、吉宗の後は家重が後を継ぎます。 この時、田沼意次(たぬまおきつぐ)が大名に取り立てられ次の将軍徳川家治(いえはる)の時に老中に抜擢されます。 田沼意次はもともと低い身分でしたが、異例の出世で「田沼時代」といわれるほどの権勢を手に... -
江戸時代|1716年 享保の改革
八代目将軍、徳川吉宗は運に恵まれていました。 もともと、紀州家の四男だったため家督を継ぐ立場とは程遠かったが、五代目将軍の綱吉により、越前丹生郡で小大名になります。 その後、紀州家を継いだ兄が死んだことで紀州候となり、さらに七代目将軍の家...