<出典:wikipedia>
船越義珍 ふなこしぎちん
1868年~ 1957年
はじめに
「KARATE」という言葉が国際的に知られるようになり、世界中で愛好されるようになりました。
空手にはさまざまな流派やスタイル、会派が存在する空手ですが、単純に「日本の武道」と言い切るには注意が必要です。
なぜならその発祥は、かつての「琉球王国(現在の沖縄県)」であり、そこで発達した武術が船越義珍(ふなこし ぎちん)によって日本本土に紹介されて、やがて「空手道」となったという経緯があるためです。
今回は船越義珍が紹介した空手の源流について、ご紹介したいと思います。
空手の源流、「唐手」とは
空手は本来、「唐手(トゥーディ)」と呼ばれていました。
当時の沖縄は頻繁に中国と交流をしており、「唐手」の字のとおり「唐(中国)から伝わった武術」という意味合いを持っていました。
唐手の発祥には諸説がありますが、中国から渡来してきたり漂着したりした人たちの中に拳法などを身に付けた武術家がおり、彼らがもたらした技と沖縄土着の格闘技などが融合・発展して成立していったと考えられています。
また、沖縄は慶長14年(1609)に薩摩藩に支配され、武器の所持に制限がかけられていました。
これにより沖縄では、素手の武術に加えて棒や鎌などの道具を武器として使用する技が工夫され、唐手の発展に繋がったのだと考えられます。。
唐手には大まかに、「首里手(シュリテ)」と「那覇手(ナハテ)」の系統があるとされており、首里手は伸びやかな遠間の技、那覇手は力強い近間の技に特徴があるといいます。
船越義珍は主に首里手の遣い手として知られていますが、複雑な伝系をもった空手では、厳密な区分ではない場合もあります。
船越義珍と「松濤館」
大正11年(1922)5月。
東京で第一回体育展覧会船越が行われ、唐手が初めて日本本土で紹介されました。
パネル展示により日本本土の武道家に存在が知られることとなり、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎(かのう じごろう)が強く興味を抱きました。
翌6月。
嘉納が船越を講道館に招き、唐手の演武と解説を行われ、さらに認知度が高まりました。
講道館柔道や日本の古流柔術にも、「当身(あてみ)」と呼ばれる突きや蹴りの技術が存在していますが、そんな当身に特化した鋭い唐手の演武は、驚きをもって迎えられたといいます。
ときが経ち・・・。
お互いに自由に技を出し合って稽古をする「乱取り」の方法が工夫され、「色即是空」の「空」の一字をとって唐手を「空手」と改め、今に伝わる「空手道」が始まりました。
船越の道場は彼の号をとって「松涛館(しょうらいかん)」と名付けられ、それによりその道統を「松涛館流」と呼ぶようになりました。
これが現在でも日本本土空手「四大流派」の一つとして、世界中の人々に愛好されています。
※号:別名のようなもの