相棒?友人?それとも食用?縄文犬と弥生犬の違い

日本人は猫が大好き!と言われていますが、猫よりも犬の方が日本人との関係は深いものです。

現在、犬は、愛玩動物としてだけでなく、警察犬や盲導犬、災害救助犬など、生活に欠かせない重要な存在になっていますが、

その歴史は古く、なんと縄文時代にまで遡ります。

 

縄文犬は人と一緒に南方より日本列島に入って来て広がりました。

その後、朝鮮半島から渡来人がやって来たのと同時期に弥生犬も日本に入って来て、元から日本にいた縄文犬と混じり合い、様々な種類に分岐していったと考えられています。(現在の日本犬の先祖に当たるのが、この頃の犬)

人間と同じような歴史を辿って広がっていった犬ですが、縄文時代や弥生時時代はどのように扱われていたのでしょうか?

狩りの良き相棒、人生の友だった縄文犬

縄文時代の遺跡からは、よく犬の骨が見つかっています。

出土した骨の多くは、歯が折れてしまっていたり、手足に骨折の痕があったりと痛々しいものです。

これらの怪我は狩りによって出来たものだと考えられています。

縄文人の狩りは一週間に三日ほど、大型のイノシシなどを相手にしていました。

大型動物の狩りは集団で行いますが、暴れるイノシシを効率よく狩るために犬を利用したのだと考えられます。

 

犬に吠えさせて追い詰めて、逃げ場を失わせる狩猟方法は昔からよく見られます。

このような危険な狩りで、犬も怪我をしていた可能性は大いに考えられます。

ただ、縄文人は怪我をした犬を放置したりはせず、きちんと治療をしていたようです。

その証拠に、出土した犬の骨のほとんどは骨折が治った形跡があり、治った後もしばらくは生きて人間と暮らしていたと分かります。

また、犬の骨は全身揃って出土することが多く、縄文犬は死んでも適当に扱われることなく、きちんとお墓を掘ってもらって埋葬されていたのだと分かります。

時には人間と一緒に見つかることもあるため、縄文人にとって犬は単なるペットではなく、狩りで命を預け合う相棒、人生の友というかけがえのない存在だったと想像できます。

食用にもされた弥生犬

頼れる相棒だった縄文犬と比べて、渡来人と一緒に日本にやって来た弥生犬の扱いは少し雑です。

弥生時代になると稲作などの農耕技術が発達し、縄文時代のように大型動物との危険な狩りも少なくなりました。

それに伴い、犬の役割も変化していきました。

弥生時代の遺跡からも犬の骨が出土していますが、それのほとんどが全身揃うことなくバラバラの状態で見つかります。

中には解体された痕やかぶりついたような歯の痕も見受けられます。

このような形跡から、弥生犬は食用犬としても扱われていたのではないかという見方がされています。

犬を食べる、という風習は弥生時代になって初めて見受けられるもので、中国大陸や朝鮮半島からもたらされたものです。

ほぼ同時期の中国は春秋戦国時代ごろに当たりますが、その当時の遺跡から子犬を煮込んでスープを作ったと思われる鍋が見つかっています。

良き相棒から一転し食用になってしまった弥生犬。

もちろん、すべての弥生犬が食用にされていたわけではなく、あくまでも役割の一つに食用が加わったというものなのでしょう。

まとめ

狩猟の相棒、友人、そして食用……

今の私たちが可愛がっている犬は、長い日本の歴史の中で紆余曲折を経て現在の形になりました。

これまではニホンオオカミ(現在は絶滅しています)を飼育したのが犬の始まり……なんて話もありましたが、今ではこのような説は否定的な意見が多く、人間と一緒でよそから日本大陸に渡って来たと考えられています。

人間と一緒に日本に来た犬たちは、渡来系の犬と混ざり合い新たな種を誕生させ、人間も縄文系と渡来系が混ざり合い今の日本人の原型が出来上がっていきます。

そう考えると、日本人の歴史は犬の歴史と同じような道を歩んでいるのかもしれません。

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