2017年11月– date –
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室町時代|1392年 南北朝統一
後醍醐天皇が亡くなり、新田義貞、楠木正面など南朝の名将が戦死してから南北朝が統一されるまでには少し時間がかかります。 足利尊氏・直義兄弟が南朝に通じたり、楠木正成の子どもの正儀が足利方についたり、すぐ南朝に戻ったり・・・。 軍事的、政治的... -
室町時代|1336年 湊川の戦(みなとがわのたたかい)
楠木正成は、武士としては非常に異質な存在でした。 建武の新政が失敗に終わり、理想が裏切られても、楠木一族は何代にもわたって後醍醐天皇のために戦います。 また、戦術はゲリラのようでもありましたが近代的で、この面でも異質でした。 利益で... -
室町時代|1335年 足利尊氏の反乱
1335年。 足利尊氏は関東で兵を起こした北条時行を討つために鎌倉へ向かいます。 もともと源頼朝のようになりたいと考えていた尊氏は、朝廷に征夷大将軍の位と東国の管領権を要求。 しかし、平安時代を理想とする後醍醐天皇には受け入れられません。 そこ... -
室町時代|1334年 建武の新政
源頼朝が鎌倉幕府を開いてから140年ぶりに政権が朝廷に戻ります。 宋学を学んでいた後醍醐天皇は、政治を武士に任せるのではなく、あくまでも天皇みずからが「武」を握るという形を作ろうとします。 ところが、後醍醐天皇の恩賞の与え方が恣意的で、天皇の... -
鎌倉時代|1331年 元弘の乱(げんこうのらん)
1324年。 後醍醐天皇の謀反計画が幕府に知られると、側近の日野資朝(ひのすけとも)たちが捕えられてしまいます。 しかし、このときは、天皇はいっさい関わりないという弁明により、後醍醐天皇には何の処分もありませんでした。 再び倒幕計画。元弘の乱が... -
鎌倉時代|1318年 後醍醐天皇が即位する
第88代、後嵯峨天皇が私情により第一皇子の後深草天皇を退位させ、第二皇子の恒人親王(のちに亀山天皇)を皇位につけたことから天皇家の相続問題が起こります。 そのため、鎌倉幕府主導で後深草系と亀山系(恒人親王系)を交互に皇位につけることにしまし... -
鎌倉時代|1274年・1281年 元寇
承久の乱により、天皇の皇位継承も武士に左右されるようになり、当時の貴族たちの中には、世も末だと考える人も少なくありませんでした。 そんな中、現在のモンゴル・中国あたりに築かれた国、元が2度にわたって攻めてきます。 これが元寇です。 12... -
鎌倉時代|1232年 御成敗式目の制定
源頼朝は宮廷に対しては従順な態度をとって衝突を避けていました。 1185年に義経追討の名目で守護・地頭を設置したのは、実質的には日本支配をしていながら、公家を立ててのことだったのです。 そして、問題が起こるたびに頼朝自身が従来の慣習を参考に判... -
鎌倉時代|1221年 承久の乱
承久の乱は、鎌倉幕府に対して不満を抱いていた後鳥羽上皇が幕府討伐の兵をあげるが敗れてしまう戦い。 この戦いで国の体質に変化があらわれます。 国の体質はそれ以前に二回変化しています。 一回目は、第三十一代の用明天皇が仏教を使いはじめた... -
鎌倉時代|1219年 北条氏の執権政治
政治的には最も偉い役職の天皇。 しかし、実際に力を持っているのは藤原氏や鎌倉幕府、江戸幕府に日本政府。 このように一見偉そうだけど実権は何もないという状況が、日本では約二千年続いています。 特にすごかったのが、北条氏の執権政治。 天皇...