1980年代。
オイル危機を省エネで乗り切った日本製の工業製品は、世界中でどんどん売れていきました。
焦った欧米諸国は、「プラザ合意」を日本に押し付けます。
これにより円高ドル安となり、日本製品は高くなって売れなくなるので勢いが衰えることになります。
・・・、なるはずでした。
プラザ合意が締結されると円が二倍近くに跳ね上がり、日本は円高不況に陥ります。
そこで、日銀は一般の銀行にお金を貸すときに、利子を少なくします。
「お金を借りやすくなった銀行は、どんどんお金を貸すようになり企業が不況をしのげるだろう!」ということです。
しかし、ここから日本経済は欧米の思惑とは全く違う方向へと進んでいきます。
不況に苦しむ日本。
ですが、省エネ産業を発明すると、すぐさま不況を克服!!
貿易で大幅な利益をあげます。
しかも、円高、低金利のまま!
すると、資金があまり、物価があがる・・・、はずが円高ドル安政策のせいで海外から安い製品が大量に入ってきて、インフレは起こりませんでした。
資金があまる状態が続いた日本。
そのお金が、次第に土地や株に流れ始めます。
資金をそのまま持っていても増えないから、株や不動産に投資して少しでも増やそうというわけです。
買う人が増えれば、高く売れるようになります。
こうして、株や不動産の価格はどんどん上がり、バブル経済がはじまりました。
バブル経済の崩壊
当時、土地を利用して莫大な利益を得る人が続出。
一方、まじめに働いて土地や株を購入しない人もいました。
このような状況に、旧大蔵省は”不公平感”をつのらせます。
そして、1989年。
不動産取引の総量規制などの法律で、一気にバブルを潰しにかかります。
これまで不動産会社は銀行から借りたお金で土地を買い、それを他の不動産会社や個人に売って利益を上げていました。
ところが、法律により高値で買ってくれる人がいなくなります。
するとどんどん値段は下がりはじめ、次々と赤字を出していきます。
こうして、日本全国の土地の価値が2ヶ月で3割も下落し、日本には長期の不況がおとずれます。