戦後、韓国や中国と条約を結んだことで、ようやく日本は謝罪外交から解放されます。
日本と韓国との間では、日本が総額8億ドル以上の経済援助をするからわりに、韓国は日本に対する請求権を放棄すると約束。
中国と交わされた日中共同宣言では、中国が戦争の賠償請求を放棄することを明言します。
そして6年後。
日中平和友好条約で過去のことを持ち出さないことが約束されます。
こうして、第二次世界大戦での賠償は全て清算されたかに思えました。
しかし、しばらくして第一次教科書問題が起きます。
これをきっかけに日本は、50年以上も前に起きた戦争を謝りつづける、異常な国となってしまったのです。
第一次教科書問題
1981年。
自民党の教科書制度改革案に危機感を抱いた左翼たちは、それを打破するために「日本が軍国化してしまう」といって政治問題にします。
加えてこれを中国と韓国に報告します。
それまで、韓国と経済効力交渉が進んでいましたが、教科書問題により交渉が中断。
外交問題に発展してしまいます。
さらに翌年、1982年。
日本の新聞がいっせいに次のことを報じます。
「日本の教科書検定で、中国華北への”侵略”が”進出”に書き換えられた!!」と。
これは、のちに誤報と分かり、中国も一度は抗議声明を出しますが取り下げます。
ところが・・・。
当時の官房長官、宮澤喜一が「近隣諸国明の感情を考慮に入れた教科書にする」と発言。
近隣諸国条項という条項が教科書検定に設置されてしまいます。
これにより、韓国や中国が日本の教科書に口出しできる状況を作ってしまったのです。
こうして、日本政府の謝罪外交がはじまります。
日本を貶めた日本人!!
一国の歴史に他国が口をはさむことは、どう考えてもおかしなことです。
なので、日本政府は毅然とした態度をとるべきでした。
しかし、日本にはGHQ占領下で植えつけられた、自虐精神がありました。
「日本が悪かったから第二次世界大戦になったのだ」と。
“日本=悪”の精神に取りつかれた”反日的日本人”は、謝罪外交を推し進めます。
さらに、教師の多くもすでに反日的な考えになっていたため、学校で教えるときに選ばれる教科書も反日的なものに。
こうして、50年たった今でも、歴史を正しく認識することができず、”日本=悪”の呪縛に取りつかれているのです。
宮澤喜一首相の失態
1989年。
中国で天安門事件が起きます。
世界中のマスコミが見ている中、民主化を求める一般人を大量に殺害したのです。
当然、中国は国際社会から孤立。
そこで、中国は日本を利用して国際社会に復帰しようとします。
そのために選ばれたのが、天皇陛下でした。
諸外国の首脳は天皇陛下のことを尊敬おり、フォード・アメリカ大統領は晩餐会の席で震えるほど緊張したとも言われています。
そんな天皇陛下に対し、日本政府は中国に訪問してもらうことを決めてしまいます。
これにより、中国は国際社会に復帰する一方、日中関係は急激に悪化します。
東アジアにおいて、周辺の国が中国を訪れることは朝貢とみなされます。
中国の都に日本の天皇が行けば、日本が中国の家来になったとみなされるのです。
こうして、それ以後、江沢民(こうたくみん)や温家宝(おんかほう)は日本に傲慢な態度を取るようになってしまいました。
聖徳太子が中国と対等な関係を結んで以来。
ずっと対等な立場を保っていたのに、宮澤喜一首相と加藤紘一官房長官により崩れてしまったのです。