アメリカとの戦争を必死に避けようとしていた日本。
しかし、これまでの状況が日本を戦争へと引きずり込んでしまいます。
まず、1924年の絶対的排日移民法などの、人種差別からくるアメリカの日本人敵視政策。
これにより、日本人のアメリカへの不満が高まります。
そして、1932年のブロック経済。
イギリスやアメリカの貿易制限により日本経済は危機に陥ります。
こうして、世論が戦争に傾き始め、明治憲法の欠陥もあらわになります。
政府が軍をコントロールできなくなると、日本の世界的な信用も落ちていきます。
ドイツと同盟を結んだことでさらに状況は悪化し、ABCD包囲陣完成。
国家存続の重要資源である石油が完全に断たれ、ハル・ノートで無理難題を押し付けられます。
こうして、日本は戦争する以外の道を断たれてしまったのです。
奇襲となってしまった真珠湾攻撃
アメリカとの戦争を避けたかった日本ですが、ABCD包囲陣の完成により急遽アメリカとの戦争の作戦を考え始めます。
太平洋戦争開戦前日。
日本外務省は大使館に向かって、「これから重大文書を送るから万全の準備をしておくように」という予告電報を打ちました。
しかし、どういうわけかその夜、日本大使館員は一人の当直もおかずに引き上げてしまったのです。
翌朝、電報の暗号を解読した日本大使館員は震え上がります。
そこには、断交通知書を午後一時にアメリカに手渡せと書いてあったのです。
大使館員は慌てて文書作成に入りましたが、約束の時間に間に合いません。
そこで、約束の時間を遅らせてもらうという最悪の決断をします。
これにより、日本軍が真珠湾を攻撃してから25分後に断交通知書が届けられることとなったのです。
ルーズベルト大統領はこの事実を最大限に利用。
「日本が卑怯な奇襲攻撃をしかけてきた」として大々的にPRします。
こうして、戦争に消極的だったアメリカ世論は一気に変化。
非道な国「日本」を叩き潰すことが、アメリカ国民にとっての“正義”となってしまったのです。