日本への経済制裁という建前のABCD包囲陣。
しかし、この包囲陣にはイギリスのチャーチルの思惑があったのです。
第二次世界大戦開始直後。
ドイツが破竹の勢いで進撃し、イギリスは連敗を重ねていました。
これを打開するにはアメリカを戦争に引きずり込むのが一番効果的。
そこで、なんとかアメリカを引き込もうとします。
しかし、当時のアメリカ大統領、ルーズベルトは戦争しないことを公約に掲げていました。
なので、ストレートにアメリカに協力要請しても拒否されることは分かっていました。
そこで、考え出したのがABCD包囲陣。
日本とアメリカが戦うように仕向け、日本と同盟国のドイツにアメリカと戦わせようとしたのです。
ABCD包囲陣で石油を断たれた日本
チャーチルの画策でイギリスとアメリカは日本に石油の輸出をストップ。
困った日本はオランダ領のインドシナに打診しますが、チャーチルによりそれも拒否されます。
こうして、A(アメリカ)B(イギリス:Britain)C(China)D(オランダ:Dutch)包囲陣が完成します。
当時の日本軍は史上最強。
しかし、石油がなければ話になりません。
そのため、アメリカとの戦争に難色を示していた海軍も覚悟を決め、戦争の準備をはじめることになります。
ただ、このときは約半年分の石油が国内に残っていました。
なので、日米交渉でなんとか石油が輸入できるようになることを祈っていました。
希望を打ち砕いたハル・ノート
最後の望みだった日米交渉。
しかし、ここでアメリカがハル・ノートを突き付けてきます。
ここに書かれていた内容は主に3つ。
① 中国やインドシナからの即時無条件撤退
② 日独伊三国同盟の一方的な破棄
③ 中国での蒋介石政府以外の否認
当時中国では、複数の政府が乱立。
日本は親日的な汪兆銘政府を支持していました。
これにたいして、蒋介石政府は反日。
当然、このような条件をのめるわけがなく、これを実質アメリカからの宣戦布告だととらえます。
こうして、アメリカとの戦争に進んでいく日本ですが、近年、驚愕の事実が明らかになってきました。
日本に無理難題をつきつけたアメリカのハル・ノート。
実はソ連のスパイだったハリー・ホワイトが書いたものだったのです。
日米交渉にあたっていたハル国務長官本人が作った内容はもっと穏やかなものでした。
しかし、ソ連のスパイが内容を変更。
日本が怒るような案を作って大統領に採用させたのです。
重大な経済的脅威を突き付けられた日本。
各国の思惑により、日本はアメリカとの戦争を余儀なくされたのです。