二・二六事件以降、軍に逆らう政治家はほとんどいなくなり、日本は国家社会主義への道を歩み始めました。
そして、1937年。
盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が起きます。
この事件は、日本軍による侵略だったといわれることが多いが、ことの真相はだいぶ違います。
当時、中国の盧溝橋には日本軍が滞在していて、これは条約で認められていました。
ちょうど、現在の日本にアメリカ軍がいるようなものです。
そんななか、日本軍に向けて何者かが発砲します。
近くには中国軍がいたため、彼らの仕業だと考えた日本軍は使者を派遣して中国と話をしようとします。
ところが、翌日も再び発砲事件が起きます。
そのため、日本軍は戦闘態勢に!!
ただ、日本軍も事件が拡大するのを恐れて直前に攻撃を中止します。
しかし、中国軍は攻撃を始めたと思い、中国軍が攻撃を開始。
これが事件の真相だったのです。
盧溝橋事件の犯人。事実を捻じ曲げた東京裁判
この記録から、盧溝橋にいた日本軍に武力衝突を起こそうという意図がなかったことが分かります。
では、誰が事件を起こしたのか。
これは第二次世界大戦が終わってから明らかになりました。
当時の中国では、中国共産党軍と国民政府軍が絶えず争っていました。
国民政府軍と戦い劣勢になった中国共産党軍。
そんな状況を打開するために思いついたのが、盧溝橋事件でした。
国民政府軍を日本軍と戦わせることで戦力を削ごうというわけです。
こうして中国共産党軍のスパイが国民政府軍に潜り込み、日本軍に発砲し事件となったのです。
事件の真相を見ると、日本軍は巻き込まれたようにしか思えません。
では、なぜ、「日本軍の陰謀」という認識が広まっているのでしょう??
その原因は東京裁判にありました。
第二次世界大戦が終わると、戦争の責任を問うために東京裁判が行われました。
この裁判は連合軍が戦争敗者の日本を裁くというものだったので、「日本が悪かったから戦争が引き起こされた」という考えのもと進んでいきます。
なので、シナ事変に関しても「全て日本軍の陰謀で引き起こされた」という判決が下されます。
判決はそのまま現在までの歴史観につながり、日本軍が中国に侵略していったという認識になってしまったのです。