1937年。
中国大陸では国民政府のほか各地に自治政府が乱立していましたが、通州を支配していたのは親日的な冀東(きとう)政府でした。
そのため300人ほどの日本人が通州で暮らしていました。
その通州で中国人保安部隊による日本人虐殺事件が起きたのです。
この虐殺で200人もの日本人が斬殺されます。
(保安部隊の残虐さはとても直視をできるものではないため、ここでは省きますが、知りたい方はウィキペディアを参照してください。⇒ウィキペディア)
当時、中国では反日の感情が高まっていました。
現在でも、中国は国民の怒りが政府に向かないよう反日感情をあおっていますが、多民族国家で統一が難しいため、自国の外側に敵を作って内政を安定させようとしたのです。
そして、周到に計画を進め通州で日本人を虐殺。
この知らせは日本にも伝わり、日本人の中国に対する怒りは頂点に達します。
こうして、日本人は軍部を支持するようになりさらに軍事国家へと傾いていきます。
歴史が誤解されているわけ
通州事件は意図的に抹消されたり、本質をゆがめて伝えられています。
その理由は盧溝橋事件と同じく、第二次世界大戦後の戦争処理にあります。
戦争では勝者こそが正義。
なので、戦争に負けた日本は敗者として完全に悪者扱いされます。
そんな中、通州事件の真相が広まれば、「日本が悪かったから戦争になった」という図式が崩れてしまいます。
実際、東京裁判では通州事件についての論議が却下されてしまいます。
また、現在、通州事件の原因を「日本軍が通州の保安隊施設を誤爆したため」と考えている人もいます。
しかし、これは、東京裁判で少しだけ通州事件の話題があがったときに、そのように反論した人がいたためで、事実は異なります。
日本軍が通州の保安隊施設を誤爆したのは確かでした。
国民政府軍の兵営を爆撃するつもりで、その隣の施設を爆破してしまったのです。
これにより数名の保安隊員が死亡。
日本関東軍の責任者はすぐに冀東(きとう)政府を訪問して謝罪。
遺族のところにも足を運びました。
誤爆により数名の命を奪ってしまったことは確かでしたが、事後処理に落ち度はありませんでした。
なので、コレが原因で200人もの日本人を計画的に虐殺したというのは無理があるんです。