1937年。
日本軍は中国の南京で民間人を大量に殺した。
第二次世界大戦後の歴史観ではこのように伝えられることが多いですが、実状を見ると虐殺ではなかったことが分かります。
盧溝橋事件以来、シナ事変は拡大していました。
日本政府としては、このまま拡大していくのを良しとせず、どこかで収束させようと模索していました。
しかし、相手の蒋介石は物凄い執念で、ついに第二次上海事変が起きてしまいます。
そのため、日本政府は南京攻略という強硬手段に出ることを決意。
首都を抑えれば、さすがの蒋介石も講和に応じるだろうということでした。
南京攻略の際にとくに注意していたのが国際社会の目。
満州事変によって日中戦争に対する関心が高まっており、もし外国人ジャーナリストが日本の落ち度を報じたら、日本の立場がさらに悪くなってしまうためです。
そのため、南京錠を包囲した後、日本軍は無条件降伏するように言います。
しかし、これが拒否されたため入城。
松井岩根将軍は、全軍に軍規の徹底を呼びかけ城を占拠します。
中国軍のリーダー不在。罪深きゲリラ作戦
無事、南京を制圧した日本軍。
しかし、ここで問題発生。
なんと、敵の大将である蒋介石(しょうかいせき)が途中で逃げ出していたのです。
しかも、後を任された唐生智(とうせいち)将軍まで脱出。
日本軍が城を落としたときには、すでに責任者は誰もおらず、ちゃんとした降伏ができない状態でした。
残されていたのは20万人の市民と、一部の中国兵。
ここで、中国兵はゲリラ作戦に切り替えます。
軍服を脱ぎ捨て一般人に紛れ込み、日本兵のスキを襲おうとしたのです。
そのため、日本軍はゲリラ狩りをすることになります。
このゲリラ狩りのことが、のちの東京裁判で「一般人に対する暴行」だったと判定されます。
例によって「敗戦国=悪」「勝利国=正義」だから、日本を悪者に仕立て上げたのです。
もちろん、ゲリラ狩りで誤って殺された一般人もいましたが、ゲリラ作戦というのは市民まで被害が及ぶため戦争では実行しないのが国際常識。
もしこの責任を問うなら日本軍ではなく、このような状況を作り出した蒋介石に問うべきなんです。
さて、南京を制圧した日本。
これで戦争が終わるかと思いましたが、蒋介石は和平交渉を拒絶。
アメリカ、イギリス、ソ連の後ろ盾を得ていたため、あくまでも徹底抗戦する構えを見せます。
同時に日本国内では新官僚たちが良いことに気づき始めます。
それが、「戦争という非常時にはどんな法案でも簡単に成立する」ということ。
実際、国家総動員法、配給制度、地代家賃統制制度などの法律が制定されていました。
近衛文麿首相の発言により世界中が「日本は中国征服を企んでいる」と思うようになり、戦争はさらに拡大していきます。