1930年。
世界恐慌により統帥権干犯問題があらわになると、軍部は天皇直属の部隊だということで内閣の言うことを聞かなくなっていきました。
軍部がどんどん内閣の力を削いでいく・・・。
この様子を見ていたエリート官僚たちは、「自分たちも天皇の官僚である」という意識を持ち始めます。
軍部が天皇直属の官僚なのだから、同じ官僚である自分たちも天皇に属しているというわけです。
自由主義経済の欠陥
人々が自由に商売をして経済が勝手に回っていく。
この自由主義経済の欠陥も世界恐慌によってあらわれます。
自由主義経済では国が産業を制限するようなことはありませんでしたが、その分貧富の差が大きくなりました。
そのため、当時は「国が経済を統制して私有財産を制限すべきだ」という社会主義的思想が広まってきていました。
こうして、エリート官僚たちは“天皇の官僚”を自称する「新官僚」となり日本の経済統制を推し進めていきます。
そして、1937年。
ついに企画院が設立されます。
企画院とは経済版の参謀本部。
中国での事件に対応するため、戦争中の経済の基本計画を作り上げるために作られました。
1938年。
企画院によって国家総動員法が制定されます。
これは、日本に存在するすべての資源と人間を国家の命令ひとつで自由に動かせるという法律でした。
これにより、日本の自由主義経済は完全に封じら共産主義へと変わってしまいます。
本来、議会は、国家総動員法のような国民を無視した法律が作られないようにするためにありました。
しかし、軍部も官僚も議会の言うことを聞かなくなってしまったため、これを抑える術はありませんでした。
こうして、大正デモクラシーでできあがった政党政治は崩壊してしまったのです。