三国干渉の後、ロシア海軍が遼東半島沿岸や朝鮮西海の制海権を握ってしまいます。
これは日本にとって大きな脅威。
国内では開戦の気運が高まりますが、日本がロシアに勝てる可能性はありませんでした。
そんな中、日本にとって思わぬ味方が現れます。
なんとイギリスから同盟の提案があったのです。
世界を驚かせた日英同盟
日英同盟成立のニュースに、国際社会は仰天します。
世界のトップともいえるイギリスが有色人種の小国・日本と同盟を結ぶことは、当時の常識では考えられないことだったのです。
イギリスはそのころ南アフリカのボーア戦争に手を焼いており、イギリス陸軍が東アジアでロシアの南下を抑えることは不可能でした。
しかし、アジアにはイギリスの植民地があります。
そこで、東アジアに信頼できる国を求めていました。
そんな中、北清事変で日本の規律正しさが目にとまります。
日本に好印象を抱いたイギリスは、ロシアの南下を防ぐために日本に同盟を持ちかけたのです。
同盟による圧力
同盟を結んだといっても、イギリス軍が援軍に来てくれるわけではありません。
武器を供給してくれるわけでも、戦費を調達してくれるわけでもありません。
しかし、かのイギリスがロシアに対して圧力をかけ続けてくれれば、ロシア軍の動きは大いに妨げられます。
また、ロシアと同盟関係にある国も、イギリスとの関係上、ロシアを軍事的に助ける可能性が減ります。
そうなれば、日本がロシアに勝つチャンスも生まれます。
こうして、日露戦争へと進んでいくのです。
同盟で得た利益
日本にとって日英同盟は、日露戦争後にも大きな役割を果たします。
有色人種というだけで差別されていた時代に、イギリスの同盟国ということで国際社会での日本の信用が大いに高まったのです。
もちろん、イギリスにとっても有益な同盟で、日本にアジアを任せているおかげでヨーロッパ大陸での外交に力を注ぐことができました。
アメリカの画策
これを面白く思わなかったのがアメリカでした。
当時アメリカはシナ大陸進出を最大の目的にしており、なんとか日本の力を削ぎたいと考えていました。
そこで、日本を第一の仮想敵国とみなし、精力的に活動。
1921年にワシントン会議で日英同盟を解消させることに成功します。
そのとき新たに日本、イギリス、アメリカ、フランスの四国協定が結ばれますが、この条約には何の意味もありませんでした。
日英同盟がなくなると、アメリカは日本を狙い撃ちしはじめ、これ以降、日米関係は悪化していきます。