1896年。
ノーベル賞第一回医学賞の候補に北里柴三郎の名前が挙がりました。
実際に受賞したのはドイツのベーリングでしたが、明治維新からわずか30年で日本から優秀な人材が現れ始めたのです。
当時、江戸幕府や明治政府は多数の留学生を海外に出していました。
これは、優秀な若者を海外に送り出して勉強させればすぐに西洋文明に追いつけるはずだという確信があったためです。
その中でもいち早く大きな業績を上げたのが、北里柴三郎でした。
ベーリングは、ジフテリア菌の血清療法の研究により第一回医学賞を受賞しました。
実はこの研究は、ベーリングと北里が破傷風菌の共同研究を行い、北里が血清療法を創案したことが原点になっています。
なので、“本家”の北里にノーベル賞が与えられてもおかしくありませんでした。
しかし、当時は今とは比べ物にならないくらい人種差別があり美徳ですらあった時代。
しかも、ドイツが医学の最先端を走っていました。
その影響もあり、北里はノーベル賞を受賞することができなかったのです。
白人至上主義の否定
当時の世界では、自然科学の分野は西洋人たちしかできないと思われていました。
しかし、そんななか有色人種である日本人が医学のトップと肩を並べたのです。
業績を残したのは北里柴三郎だけではありませんでした。
野口英世は1911年に梅毒の病原体スピロヘータをマヒ性痴呆患者の大脳から発見。
世界で初めて精神病の病理を明らかにします。
野口も二度にわたりノーベル賞の最終候補に残っていましたが結局受賞できませんでした。
同じころ、鈴木梅太郎がビタミンB1を主成分とするオリザニンを発見。
史上初めてのビタミン類発見となります。
しかし、この大発見にもかかわらず、鈴木も受賞できず・・・。
1897年には、志賀潔(しがきよし)も赤痢菌を発見。
他にも、木村栄(ひさし)が地球の緯度変化の法則を示す新しい定数「z項」を発見しています。
医学、細菌学、天文学など、様々な学問で西洋人と肩を並べた日本。
ただ、時代の影響で日本人初のノーベル賞受賞者が生まれるのは、もう少しあとになります。
1949年。
ついに日本人初のノーベル賞受賞者が誕生。
理論物理学者の湯川秀樹が中間子理論構想を発表し、これが認められます。
有色人種で初めて自然科学分野での受賞でした。
湯川が受賞できた背景には、大東亜戦争で人種差別が通用しなくなったことがあります。
続々と独立国が出てくる状況に、ノーベル賞主催国のスウェーデンが適応したのでしょう。