はじめに
鹿児島県に特有の、勇壮でまっすぐな気性の男性を称えて「薩摩隼人(さつまはやと)」と呼ぶことがあります。
この「隼人」というのは、古代の南九州一帯に先住していた人たちの総称であり、ヤマトの王権とはとても深いつながりがありました。
神話の時代にまでさかのぼる隼人とヤマトの関係は、時代によって必ずしも平和的なものとは限りませんでした。
教科書には載っていない、そんな「隼人」の歴史の一端をひもといてみましょう。
隼人の始祖と天皇家の始祖とは兄弟だった
日本の昔話で「海幸彦と山幸彦」という物語を聞いたことがあるのではないでしょうか。
お話の概要はこうです。
釣りが得意な兄の海幸彦と、狩りが得意な弟の山幸彦は、ある日お互いの道具を交換してそれぞれのフィールドに行ってみることにしました。
しかし不慣れなため二人ともまったく成果がなく、そればかりか山幸彦は兄が大切にしていた釣り針を紛失してしまいます。
怒った海幸彦は、海に潜ってでも同じ釣り針を探してくるよう弟に厳命します。
困り果てていた山幸彦。
それに同情した海の神が現れ、無事に釣り針の回収に成功します。
海から陸の世界へと帰る山幸彦に、海の神は干満を自在に操ることのできる宝の玉を授け、困ったことがあれば使うようにと言い含めます。
喜んで釣り針を兄に返しにいった山幸彦でしたが、海幸彦は難癖をつけて認めようとせず、そればかりか逆に弟に攻撃を仕掛けます。
やむなく山幸彦は海の神から授かった玉の力で兄を溺れさせ、降参した海幸彦は以後、永遠に弟に仕えることを誓います。
この物語は『古事記』『日本書紀』ともに収録されている有名なもので、弟の山幸彦の子孫が後の天皇に、そして兄の海幸彦の子孫が隼人になったと伝わっています。
そう、つまり神話上は天皇と隼人とは遠い血縁関係にあるとされているのです。
隼人には魔を祓う呪力があると信じられた
ヤマトの王権にとって浅からぬ関係のある隼人ですが、居住する地域によって部族的な区分がされていました。
現在の宮崎県あたりの「日向隼人」、鹿児島県の大隅半島の「大隅隼人」、同じく薩摩半島の「阿多隼人」、甑島(こしきじま)の「甑隼人」などがそうです。
そして朝廷には「隼人司(はやとのつかさ)」という隼人らを統率・管理するための専門機関が設けられており、遠く南九州から奈良の都へと出仕にやってきた隼人や、畿内に移住してきた隼人たちが所属していました。
隼人に課せられたのは、竹細工の製作や歌舞音曲の奉納、そして「吠声(はいせい)」と呼ばれる呪術で王権を守護することでした。
隼人の吠える声には魔を祓う力があると信じられており、元日の儀式や外国使節の来訪など、重要な国家事業の際には応天門前の左右に着飾って居並び吠声を行ったといいます。
これは奈良時代初めの「養老律令」の施行細則である、『延喜式』に詳しく記載されており、
隼人という人々が当時の朝廷にとって特別な存在であったことを伝えています。