<出典:wikipedia>
足利義満 あしかがよしみつ (1358~1408)
1358年。
足利義満は、祖父の尊氏が亡くなった年に誕生しました。
父である2代目将軍、足利義詮(よしあきら)は若くして亡くなったため、わずか11歳で3代目将軍に!!
最初は細川頼之(よりゆき)の助けで政治を行うこととなります。
将軍になって10年。
義満は京都の室町に大きな屋敷を作ると、幕府の役所をここに移します。
庭には四季折々に花が咲き誇り、「花の御所」と呼ばれました。
義満は幕府の体制を固めるため、守護大名の力を抑えようとします。
まず、中国地方を中心に勢力を伸ばしていた山名氏清(やまなうじきよ)を討つと、ついで大内義弘も討ちます。
1392年には、義満の呼びかけで北朝と南朝が統一。
60年に渡る南北朝の対立が終わり、幕府の勢いはますます強くなりました。
1394年。
足利義満は、政治の実権を持ったまま将軍職を9歳の義持(よしもち)に譲ります。
そして、自らは貴族の最高位である太政大臣に。
こうして、義満は貴族と武士の全てを支配する力を手に入れます。
翌年。
義満は実権を持ったまま僧になりました。
僧になった義満は、北山の別荘で政治を開始。
金箔で覆われた金閣寺をはじめ多くの建物をつくり、ここで茶の湯や能などの文化を楽しみました。(北山文化)
日明貿易を開始
1368年。
明が中国を統一します。
中国を統一した明は、義満に貿易を求めてきます。
また、このころ、倭寇(わこう)という海賊が中国や朝鮮沿岸を荒らしまわっていました。
そこで、義満は求めに応じて倭寇の取り締まりを開始。
倭寇と貿易船を区別するために、勘合(かんごう)という合札を使って貿易を始めます。
明の皇帝に貢ぎ物をするという形式で貿易を開始した足利義満。
明から銅銭や高級織物を輸入できるようになります。
これにより莫大な利益を獲得し、義満は政治的にも経済的にも日本の最高実力者となりました。
しかし、1408年。
義満は金閣寺で急死してしまいます。