はじめに
「縄文時代」と聞くと、どのような時代をイメージするでしょうか。
石器、土器、土偶、貝塚、竪穴住居、狩猟採集・・・等々、教科書に載っていたキーワードの数々からは、決して楽な生活ではなかったような印象を受けますね。
食べ物も狩りで仕留めた獣の肉や、浜辺で掘り出した大量の貝などをみんなで分け合って、その日その日を精一杯暮らしていたというような創造をしてしまいます。
しかし、約1万年続いたともいわれる縄文時代は、「工芸品」といって差し支えないような見事な装飾的土器や木製品に溢れており、高度に発達した精神文化を育んでいたことが分かっています。
それは決して、食うや食わずのその日暮らしを送っていたわけではなく、充実した生業とゆとりある食糧供給が行われていたことを意味しています。
縄文人の食生活を支えていたもののひとつに「ドングリ」があります。
現代の私たちにとっても、とても身近な植物であるドングリ。
でも縄文の人たちには貴重な食料だったのです。
今回は縄文の「ドングリ食」についてのお話をご紹介しましょう。
豊富なドングリが食料になった
縄文時代には広葉樹林が広がり、そこに実る大量の堅果類が植物質の食料源として有効利用されていました。
特にドングリは膨大な量を安定して確保できるため、大いに縄文人の食生活を支えたものと考えられています。
一口にドングリといっても、様々な樹になるものがあり、シイ、カシ、コナラ、カシワ、クヌギ、ブナ等々、多くの種を総称したものなのです。
これらは固い殻に覆われていますが、中身は豊富なでんぷん質を含んでいるため、これが縄文の人々の食料となったのです。
しかし、ドングリ食には大きな問題がありました。
それは「渋み」の問題です。
ドングリの多くにはお茶などにも含まれる渋み成分の「タンニン」があり、そのままでは渋くてとても口にできるようなものではありません。
でも縄文時代には、それを克服しておいしくドングリを食べる知恵があったのです。
ドングリはどう料理した?
スダジイやマテバシイなど一部のものを除いては、ドングリには強い渋みがあり、食用にするにはこれを除去する必要がありました。
ドングリの渋みを抜くためには、大きく分けて二通りの方法が想定されています。
ひとつは水さらし。
文字通り水にさらすことでドングリに含まれるタンニンを溶出します。
もうひとつは「木灰」を使ってアクを取り除く方法で、これは現代でも山菜のアク取りとして灰や重曹を用いるのと同じです。
特に前者の水さらしは、川の流れを利用して大量のドングリを処理できる「水さらし場」の遺構が発掘されるなど、縄文時代においては大規模に行われていたことが分かっています。
渋みを抜いたドングリは、基本的には粉にしたうえで調理したと思われ、その代表が「クッキー」状の加工品です。
縄文時代の炉跡からクッキー状の炭化物が発掘されることがあり、これがドングリの粉を主体とした、いわゆる「縄文クッキー」と考えられています。
このように、縄文人は自然の恵みを上手に利用して、ドングリなどを炭水化物源として食していたのです。