藤原道長の長女に使える女房、紫式部は1001年に『源氏物語』を書きあげます。
源氏物語は世界最古の小説で、女性の手によって書かれました。
海外を驚かせた日本の小説
イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』は1348年。
フランスのラブレーが書いた『ガルガンチュアとパンタグリュエル』は1532年。
スペインのセルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』は1605年。
これらと比較しても三百年以上も早くに日本に小説が生まれたのです。
しかも、八百年後にイギリスのジェーン・オースティンが『高慢と偏見』を書くが、それよりもスケールが大きく洗練された女流作家が日本にいたことは、一般の欧米人にとっては信じられないことのようです。
イギリスの黄金期といわれるヴィクトリア朝時代の道徳心が緩み、自由主義的な雰囲気が高まっていた第一次世界大戦前後。
インテリや芸術家たちによってブルームズベリー・グループという組織が出来上がります。
その仲間であったアーサー・ウェイリーは『源氏物語』の英訳『The Tale of Genji』を出版。
ブルームズベリーグループに大きな衝撃を与えます。
当時、自分たちが世界で一番進んだ文化人であり、男女の付き合いを含めても最も洗練していると考えていたブルームズベリーグループは、『源氏物語』の細やかな情緒をたたえながら男女が自由に付き合っている様子に圧倒されたのです。
アメリカの代表的な日本学者、ドナルド・キーン氏は平安朝を「世界史上最高の文明」と絶賛。
『源氏物語』のことを、二十世紀の傑作マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と並ぶ世界の二大小説と評する声もあります
小説こそ歴史を知るのに重要な手がかりに
紫式部は『源氏物語』を単にフィクションとして書いただけではありません。
この物語の中で、紫式部は主人公の光源氏を通じて、フィクションのほうが『日本書紀』より人間の生き方を忠実に表すということを示しています。
また、紫式部は空想で作り上げた物語の実用的価値も非常に大きいと言っています。
彼女によると「小説では人間性を描くことができるから価値がある」ということで、これは西洋の近代の文学論が大発見したかのように言っていたことと同じなのです。
もし、平安朝の文学に源氏物語しか存在しなかったら、それはその時代に一人の大天才がいたということになります。
しかし、この時期には『枕草子』や『伊勢物語』などエッセイや物語が多く存在し、女性の日記文学が発達していたことを証明しています。
小説から分かる平安時代の様子
『紫式部日記』によると、この時代の男たちは武力を軽蔑し、せっせと女のところに通っていました。
内容を見ると、「年末に盗賊が入ったが、宮中には警護の武者どころか男が一人もいなかった」とあります。
ここから、当時の男性をだらしないと批判することもできますし、だからこそ武士の時代に移ったともいえます。
また、これほど平和な時代を何百年も維持した藤原時代の男たちは凄いともいえます。
歴史書ではなく小説が、当時の状況をありありと魅せてくれるのです。