<出典:wikipedia>
はじめに
「宮本武蔵」といえば剣豪の代名詞ともされる、史上最も有名な剣術者の一人です。
真剣を用いての勝負でただの一度も不覚を取ったことがなく、したがって天寿を全うしてその流派も現在にまで伝承されています。
しかし、そんな武蔵の最強伝説に唯一黒星をつけた、と伝えられる武人が存在するのをご存知でしょうか。
その名は夢想権之助勝吉。
今に伝わる「神道夢想流杖術(じょうじゅつ)」の開祖として知られる人物です。
ここでは、武蔵を破った「杖術」にスポットライトを当ててみましょう。
「杖術(じょうじゅつ)」とはどんな技か?
「杖」と名が付いていますが、これは必ずしもステッキを使うというわけではありません。
日本の武術には「棒術」というものがあり、概ね六尺(約180cm)という長さがひとつの基準となっています。
「杖(じょう)」とは六尺より短い棒を指して言う専門用語であり、五尺・四尺・三尺などの規格が流派ごとに存在します。
夢想権之助の神道夢想流では「四尺二寸一分(約128cm)」の長さの杖を武器として用いています。
この杖術の最大の特徴は、徹底して「対剣術用」に技が組み立てられており、いわば「剣術キラー」として歴史上恐れられてきた武術でもあるのです。
シンプルな一本の棒ですが、それだけに応用の範囲が自由自在で、剣術・棒術・槍術・薙刀術といったあらゆる武器術の技を繰り出すことが可能となっています。
なおかつ剣術の弱点を熟知した戦法が工夫されているため、武蔵にとっても難敵となったことが想像されます。
夢想権之助は、武蔵を破るために「杖」を選んだ
冒頭で述べたように、夢想夢想権之助は武蔵に勝ったという伝承がある武人ですが、最初は剣術者として試合を行いました。
当時の権之助も達人と呼ぶに相応しい剣の腕前をもっていたと考えられていますが武蔵には及ばず・・・、敗退してしまいます。
そこから、彼の打倒・武蔵のための修行が始まります。
やがて激しい訓練の末、ある種の天啓を受けて自身の武器を剣から杖に持ち替えることを決意します。
権之助は剣だけではなく、槍術や薙刀術等の武芸百般に長じていたと伝えられ、それらの技を巧みに組み合わせて一本の棒で展開することのできる「杖術」を開発するに至りました。
そうして杖術を身に付けた権之助は武蔵と再戦し、流派の伝承では「武蔵を破った」とあり、武蔵側の伝承では「引き分けた」とされています。
ただの一本の棒を使う流派が最強の剣豪に負けず、しかも互いに命を落とすことなくそれぞれの力を認め合ったのです。
現代に伝わる「杖道」
権之助の神道夢想流杖術は、福岡・黒田に藩外不出の武術として伝えられました。
この術技には「相手の命を奪うことなく制圧する」という大きな特徴があり、したがって刀を持って暴れる相手を取り押さえる「捕手(とりて)」というジャンルの武術として重宝されてきたのです。
その優れた技は現代の警察が習得する「逮捕術」の一環として採用され、現役で使われ続けています。
また、神道夢想流杖術の技はもちろん、それをベースにした現代武道「杖道(じょうどう)」として多くの愛好者を得ており、権之助の魂を今に受け継いでいます。