<出典:wikipedia>
明治天皇 めいじてんのう (1852~1912)
1852年。
明治天皇は孝明天皇の皇子として生まれました。
5歳までは母の実家の中山家で成長。
9歳で皇太子となり睦仁(むつひと)と呼ばれるようになります。
1866年。
孝明天皇が急死したため、明治天皇は16歳の若さで天皇となりました。
その年はちょうど、倒幕の雰囲気が最高潮の時。
天皇となってすぐに江戸幕府が倒れました。
“大政奉還”で徳川慶喜が政権を朝廷に返すと、朝廷は”王政復古の大号令”を発令。
天皇みずから政治を行うことを宣言しました。
これにより、幕府も摂政も関白もいない、明治天皇のもとの政治がはじまります。
1868年。
天皇は新政府の方針を神に誓うという形で、”五箇条の御誓文”を宣言します。
【五箇条の御誓文】
一、政治は会議を開いてみんなの意見で決める
一、国民が心を合わせて国の力をつける
一、国民一人一人の望みがかなえられる世の中を目指す
一、これまでの悪いしきたりは改める
一、新しい知識を世界から学んで国を強くする
しかし、国民に対しては、「一揆やキリスト教を禁止」というような、江戸時代とあまり変わらない内容のものを示しました。
1868年。
江戸を東京という名に改めると、翌年。
首都を東京に移します。
そして、明治天皇は、三条実美(さねとみ)や岩倉具視(ともみ)、大久保利通、木戸孝允(たかよし)などの意見を聞きながら政治を進めていきました。
○ 版籍奉還(1869年)
土地と人民を朝廷に返させ、大名の力を排除
○ 廃藩置県(1871年)
藩を廃止して府と県をおき、政府が任命した役人を府知事として派遣。
各地を政府の支配下に!!
こうして、天皇中心の中央集権国家の基礎がつくられていきます。
強い権力を手に入れる
1889年。
天皇が国民に与えるという形で、大日本帝国憲法を発布。
この憲法では、主権を天皇と定めており、天皇が内閣総理大臣を任命し軍隊を指揮する権限を持つと定められていました。
また、議会も内閣も裁判所も、全ての機関は天皇を助けるためのものだとされました。
翌年。
天皇中心の教育を目指して教育勅語(きょういくちょくご)を出します。
教育勅語は国民の生活に根差したもので、国民教育の基本として学校で習うようになります。
1894年。
清(中国)と戦争が起こり、これに勝利。
1904年。
今度はロシアと戦争をして、これにも勝利します。
天皇はどちらも直接戦争を指揮し、2度の戦争を勝利に導きました。
2つの勝利により、日本の国際社会での地位が高まり、日本は世界の列強諸国と並ぶ近代国家になりました。
その後、1912年。
明治天皇は息を引き取りました。