<出典:wikipedia>
はじめに
好きな戦国武将ランキングに必ずランクインする伊達政宗。
天下人豊臣秀吉をも恐れぬ大胆さに、小手森城で800名もの人々を虐殺した冷酷さ。
日本だけでなく世界へ目を向けてローマへ使者を派遣するといった行動力を持った、知勇兼備の英雄として現代でも大人気です。
一方、政宗の家庭的な面はどうだったのでしょうか。
政宗には正室側室合わせて7人の妻がおり、十男四女の子供がいました。
子だくさんパパである政宗の家庭人としての一面を見ていきましょう。
息子たちには小言の多いお父さん
政宗は筆マメな性格でしたので手紙が多く残されており、子供との手紙も数多く残っています。
「和歌を作るのが遅い。もっと早くパッパと詠めなければ歌会で笑われるぞ。出来も良くないから、真面目に和歌の勉強をしなさい」
「お金の使い方が荒すぎる。お金の使い方を改めて、浪費を抑えなさい」
「手紙の書き方が下手だからと書くのを嫌がっていては、いつまで経っても上手くならないぞ。下手でも良いからどんどん書いて練習しなさい。というわけで、この手紙の返事は家来に書かせないでちゃんと自分で書くように」
などの小言を手紙に書いています。
これだけだと、ただの小言の多い嫌な父親に見えてしまいますが、他にも息子の健康を心配したり、鷹狩りの成果をべた褒めしたりもしています。
駄目なところはビシッと叱り、良いところはとことん褒めるという厳しくも優しい父親だったようです。
娘たちには甘々なおちゃめっぷり
息子たちばかりに構っていたのかというと、そうではありません。
男子が持て囃される時代でしたが、政宗は4人の娘たちを非常に可愛がっており、日常的に手紙のやり取りをしていました。
「お父さんの作った仙台の町はとても立派な町になったよ。たまにはこっちに帰ってきて、立派な町並みを見においで」
「今度旅行をするようだけど、気を付けるように。無事に戻って来るんだよ」
「お父さん、昨日飲み過ぎてフラフラだよ。二日酔いかもしれないよ」
手紙を読んでみると、政宗の可愛らしい一面がうかがえます。
古今東西、時代を問わず父親は娘に甘いとは言いますが、政宗も娘たちに対しては少し甘いところがあったのかもしれません。
もしくは、息子は家を継いでいくという重要な使命があるため、敢えて厳しく教育していたとも考えられます。
子煩悩パパ、伊達政宗
現存する手紙を見ると、政宗がいかに子供たちを愛し、良い親子関係を築こうとしてきたかが分かります。
なぜ政宗がこれほどまでに子供たちと関わろうとしたかは、今となっては分かりませんが、江戸幕府が開かれて乱世が終わり、世の中が平和になったことで政宗自身も性格が丸くなったせいなのかもしれません。
いずれにしても、苛烈な性格で知られている野心家の政宗からは想像できないほど、子供たちに対しては厳格で教育熱心な子煩悩パパだったようです。
まさに現代のイクメンの走りといったところでしょうか。
このような人間臭いところが、伊達政宗の魅力の一つと言えるのかもしれません。