はじめに
日本に仏教が伝来して以降。
仏の姿を象った「仏像」が寺院の本尊として祀られ、貴族のなかにも故人の邸宅に歳団を設え、厚く仏法を尊ぶ者が増えていきました。
当初は金属製の「金銅仏」が多かったのですが、やがて日本に豊富に自生する樹木を素材とした「木彫仏」が主流となっていきます。
現在でもよく目にする仏像の多くは木でできており、年経た樹木には魂が宿り、やがて神になると考える霊木信仰ともあいまって、木彫仏の需要は加速度的に増加していきましまた。
そんな仏像を彫る専門の職人を「仏師」と呼び、彼らは様々な工夫で仏の姿を刻んできたのです。
ここでは、そんな仏像彫刻の技法の一端をのぞいてみましょう。
一本の木から彫り出していたワケ
奈良時代や平安時代といった古い時期の木彫仏の多くは、一本の木をベースにしてそこから仏の姿全体を彫り出すという方法で製作されていました。
これを「一木造り」といい、現代でも非常に難しく価値のある製作法とされています。
ひとつには、霊木には仏の姿がすでに埋まっており、それを取り出すのが仏師の仕事であるという考え方がありました。
信仰上の観点ではとても重要なコンセプトとして浸透していましたが、現実問題としては意図したサイズの仏像を得るためには一定以上の大きさの木が必要であり、しかも材としての良し悪しは伐採して乾燥させ、彫り始めるまで分からないというリスクがありました。
さらに、一木が造りの仏像は完成した後も、材の乾燥収縮によって割れてしまうという危険を伴いました。
<一木造りの動画>
木彫仏のイノベーション、「寄木造り」
上記の一木造りの弱点を克服すべく、画期的な製作法が編み出されます。
木片をつなぎ合わせて大きなブロックとし、そこから仏像を彫るという「寄木造り」です。
この技法では、一木造りでは仏像本体以外は全て木屑になってしまうところを、あらかじめ完成形に近い形に部材を組むことでデッドウェイトを抑えることに成功しました。
また、一木造りで制作できる大きさにはおのずと限界がありましたが、寄木造りであれば部材の組み合わせでより大きなものを造ることが可能となり、木彫仏が大型化が可能となりました。
最大の敵「収縮」を克服
木材は乾燥することによって大きく収縮し、材質によってはねじれたように変形してしまうこともあります。
そのため、古来職人たちは加工に細心の注意を払ってきました。
木材の変形を防ぐにはあらかじめよく乾燥させておくことが重要ですが、それでも僅かな収縮で仏像がひび割れてしまうことも珍しくありませんでした。
そこで、仏師たちは仏像内部を空洞にする「内刳り」という技法を編み出しました。
体積を少なくして収縮率を下げ、そして内部の表面を漆でコーティングして外気との接触を極力回避したのです。
現代にまで伝わる古い仏像には、良好な保存状態で当時の姿を彷彿とさせるものが存在しています。
それらは大切に祀られてきたことはもちろん、仏師たちのたゆまぬ工夫によって実現されたのです。