中臣鎌足(飛鳥時代)

Fujiwara-Kamatari

<出典:wikipedia

中臣鎌足(なかとみのかまたり) 614年~669年

 

614年。

奈良県で中臣鎌足が生まれます。

鎌足は幼いころから理解が早く、落ち着きがあり、学問や読書が好きでした。

 

当時、聖徳太子が亡くなり、蘇我蝦夷・入鹿が勢力を拡大。

蘇我入鹿は山背大兄王(やましろのおおえのおう)を攻めて聖徳太子の一族を滅ぼし、天皇よりも強くなっていました。

 

青年となった中臣鎌足は、中国から帰ってきた南淵請安(みなぶちのしょうあん)のもとで、中国の様子を学びます。

特に法律や政治の仕組みについて詳しく学び、蘇我氏が権力を握っている状況を変えなければいけないと考えるようになります。

 

蘇我氏を倒すために協力者を探す中臣鎌足。

12歳年下の中大兄皇子に近づきます。

2人で蘇我氏を倒す計画を進め、蘇我倉山田石川麻呂も味方につけます。

 

準備を着々とすすめ、645年。

ついに計画を実行に移します。

朝鮮の使者を迎える儀式で、中大兄皇子は宮中への門をすべて閉じます。

外との連絡を絶ち逃げ場をなくすと、蘇我入鹿を殺害。

これを聞いた蘇我蝦夷は自殺します。

 

藤原の姓をうける

蘇我氏を滅ぼすと、新しい政治が開始。

孝徳天皇が即位して、中大兄皇子は皇太子となり、中臣鎌足は天皇のそばで相談にのる内臣になりました。

669年。

中臣鎌足は重い病気にかかってしまいます。

中大兄皇子は中臣鎌足のお見舞いをすると、藤原の姓と最高の冠位である”大織冠”を与えます。

こうして、中臣鎌足の子孫は藤原氏として朝廷内で栄えていきます。

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