昭和時代の流れを分かりやすく解説3

アメリカによる日本の占領政策

敗戦により、日本は連合軍の占領下に置かれ、実質的にアメリカが単独で占領することになりました。
アメリカの政策方針は一つ。
“日本がふたたび世界の脅威にならないようにすること”
そのために、軍事能力を破壊し、民主化を進めました。
こうして、労働者の団結権保障や教育の自由化、経済の民主化などが進みました。
また、戦争中は天皇を神格化してあがめていましたが、天皇みずからがこれを否定。
強力な指導者のもとで国民が一丸となって戦争することを防ぎました。

占領政策により軍事産業は撤去され、空襲でボロボロになっていた日本は生産力が極度に落ちてしまいました。
物資が不足し物価は上昇。
さらに、1945年は作物不良で食料不足も深刻になり、栄養失調で死ぬ人も出てきました。
しかし、その後は、政党内閣の復活、日本国憲法の公布などで徐々に制度を整え国力を取り戻していきました。

アメリカとソ連の冷戦時代とその恩恵

第二次世界大戦中、協力関係にあった2大大国、アメリカとソ連。
しかし、両者は自由主義と社会主義で考えが分かれ、対立しました。

アメリカが韓国を自由主義国家にすると、ソ連は北朝鮮を社会主義国家にしました。
ソ連の勢いを注視したアメリカは、日本に経済的な自立を求めて、物価統制などのサポートをしました。

1950年。
朝鮮半島では北朝鮮軍と韓国軍の戦争がはじまりました。
これにより、物資を大量に輸出した日本は好景気になりました。
そして鉄鋼業生産量が回復しました。

また、アメリカ軍が朝鮮戦争に介入したため、日本の防衛が一時的に衰えました。
そこで、アメリカは日本に自衛するための能力を求めました。
こうして、戦後、軍事力を持っていなかった日本に自衛隊ができました。

日本は1956年にソ連との国交を回復すると、国際連合に復帰しました。

1950年代後半から、日本は輸出が急増して好景気になりました。
石油化学や自動車など重化学工業の多くの部門で技術が上がり設備投資も増えました。
1960年代末には日本の国民総生産が自由主義国の中で2位!!
国民の生活水準も向上し、冷蔵庫、カラーテレビ、乗用車などの機械が普及しました。

しかし、急速な経済成長は同時に様々な問題を生み出しました。
産業廃棄物や排気ガスによって大気や川、海が汚れ、各地で公害が相次ぎました。

バブル経済崩壊と長期の不況

日銀の金利政策もあって日本の好景気はまだまだ続きました。
すると、金融機関や一般企業は余った資金を不動産や株に投資するようになりました。

株や不動産の値段が上がり続けると、個人もその波にのって稼ごうとしました。
多くの人が、銀行からお金を借りて株や不動産を買いはじめました。

これにより、さらに値段が上昇。
こうして、日本の実態とは別のところで大型の好景気が発生しました。

1990年。
株価が暴落すると、続いて不動産価格も下落。
金融機関は不良債権を大量に保有することになり、経営が悪化。
借金に苦しむ人も出てきました。

こうして、人々の購買意欲は極端に低下し、長期間の不景気に突入しました。

 

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