飛鳥時代|604年 十七条憲法の制定

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604年、推古天皇のときにサポート役の聖徳太子が十七条憲法を定めます。

 

用明天皇の死後、物部氏と蘇我氏の二大勢力が争い、穴穂部皇子の殺害、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の暗殺などが起きました。

そのため、聖徳太子は憲法の一番初めに「和をもって貴しとなす」と定めています。

現在の憲法が長期の戦争と敗戦から平和を訴えているのと似ていますが、十七条憲法では、対象が士族に限定されていて国内のみに向けられています。

 

また、十七条憲法の第二条には「あつく三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」とありますが、これは新しい学問、新しい文化を尊ぶように説かれたものでした。

 

当時、仏教は優れた宗教哲学として認識されていました。

法とは優れた学説。僧は学者のことでした。

仏教を信仰しろというよりも、「明治時代の西洋学問を学ぼう」ということに似ていたのです。

ちなみに、もともとの日本の宗教・神道に触れていないのは、日本の神を崇めるのは当然のことで言うまでもなかったためです。




現代の日本人の考えの基礎を作った憲法

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第十七条には「独断すべからず、必ず衆と論ずべし」という記述もあります。

この内容は、1250年ごろに出された明治天皇の「広く会議をおこし、万機公論に決すべし」の条文によく似ており、十七条憲法が近代にまで大きく影響を与えたことが分かります。

 

十七条憲法は法律というよりも現代の日本人が自然にうなずける理念に近く、そのような意味でもこの憲法が現代に与えた影響は計り知れません。

 

ちなみに、世界最初の成文憲法は1788年のアメリカ合衆国憲法だと言われています。

これよりも千年以上前に十七条憲法ができていたことには、ただただ驚くばかりです。