平成が終われば令和が来る。でも昔は元号なし、2重元号もあった!

新元号「令和」の発表はスムーズに行われ、国民には好意的に受け入れられました。
ゆかりの地とされる大宰府周辺は大変な賑わいとなり、改元は日本にとってポジティブな結果となっているようです。
さて、なかなかスムーズに運んでいるこの改元ですが、日本の歴史においては、そうでもなかった時期があるのです。

元号と追号

「追号」という言葉をご存知でしょうか。
これは天皇が崩御した後の呼び名です。
元号と追号が一致するようになったのは明治からです。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇の追号は、すべて在位期間の元号と一致しています。
しかし、それ以前の天皇に関してはそうではありませんでした。

元号の使用が始まったのは645年の大化から。
そして、日本の暦には必ず元号を使用し、改元していくというシステムが確立したのが、701年の文武天皇の時の元号「大宝」からです。
この頃に「日本」という国号も成立しました。

それ以来、元号は主に以下の4つの理由で改元されるようになりました。

代始改元 : 天皇が代替わりしたとき
祥瑞(しょうずい)改元 : おめでたいことがあったとき
災異改元 : 凶事が起きてそれを断ち切りたいとき
革年改元 : 区切りの年(甲子の年、戊辰の年、辛酉の年のとき)

こうして、大化から始まった元号は今回の令和で248回目となります。
しかし、645年から現在まで、いつもスムーズに改元されていたわけではありませんでした。

元号がない白紙の時代

元号が飛んでしまった期間もありました。
654年で白雉の元号が終了し、686年に朱鳥(しゅちょう)の元号が始まるまで。
32年の間に在位した斉明天皇、天智天皇、弘文天皇の時代には、なんと元号がありませんでした。
当時西暦はもちろん導入されていませんから、年号なしで生きる感覚は現代の私たちにはちょっと想像しにくいですね。

ちなみに白雉、朱鳥は、白いキジに赤いトリを表しています。
その他にも霊亀・神亀・宝亀など、ありがたそうな亀の名前の元号もありますが、縁起のよい霊獣を元号にすることもありました。
白雉は孝徳天皇、そして朱鳥は天武天皇を讃える意味で作られた元号でした。
特定の天皇を尊ぶための元号だったので、次の天皇に引き継がれなかったのです。

その後、文武天皇からは元号を必ずつけるシステムになり、それ以降は元号の空白時期もほぼなくなりました。

2つの元号が同時にあったこともある!

実は、南北朝時代には南朝系の天皇と北朝系の天皇が両立していた時期があるため、それぞれの天皇の時代にそれぞれの元号が付けられていて、元号が二重になっていました。

南朝は1331年の「元弘」から始まり、1392年に終わる「元中」まで後醍醐、後村上、長慶、後亀山天皇まで4人の天皇によって、「建武の新政」で知られた元号「建武」を含めた10個の元号が使われました。
北朝では1332年から1394年まで光厳、光明、崇光、後光厳、後円融、後小松天皇の6人の天皇が即位し、合計17個の元号が使われました。
この間は2人の天皇と2つの元号が同時に成立していたのです。

2文字より長い元号もあった!

日本の元号は伝統的に二文字です。
今回の改元も「2文字」であることが条件となっていました。
しかしこれは慣例のようなもので、元号として使える文字数は明確には決められてはいません。
そのため、日本史上には4文字の元号もありました。
聖武天皇の749年から称徳天皇の770年までの、天平感宝・天平勝宝・天平宝字・天平神護・神護景雲の5つです。
このような4文字の元号を「4字年号」と呼びます。
5文字以上の元号というのはまだ一度も登場していません。

こうやって日本の元号を見てみるのも、さまざまなことが分かっておもしろいものです。
さて、「令和」にはこれからどんな歴史が付いてくることになるのでしょうか。