京都にそろう金・銀・銅。それぞれのお寺の特徴を紹介!

京都の観光スポットのランキング上位に必ずといっていいほど入る「金閣寺」と「銀閣寺」。
西本願寺境内にある「飛雲閣」とあわせて「京の三閣」として知られています。
でもちょっと待ってください。
「金」「銀」と続けば次は「銅」でしょう?
実は京都には「銅閣寺」もあるのです。
今回は金銀銅の3つを紹介します。

金閣寺

正式名称:鹿苑寺(ろくおんじ)
所在地:京都市北区
創設者:室町幕府第3代将軍 足利義満
創始:1420年
宗派:臨済宗相国寺派
文化的価値:ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている

金閣の由来・外観
建物の内外に金箔が貼られた3層の楼閣建築物が舎利殿、すなわち金閣です。
そして、これを含めた寺院全体が金閣寺。
舎利殿第一層は公家文化を表す寝殿造り、第二層は武家造り、そして最上部の第三層は中国風の禅宗仏殿造りとなっています。
公家文化と武家文化の融合、そして日明貿易による大陸の影響を受けたこの金閣は、見事に北山文化を象徴しています。

金閣寺の創建と歴史
1394年。
将軍足利義満は息子の義持(よしもち)に将軍の地位を譲ったあと、西園寺家から山荘を譲り受けて、1397年から「北山殿」を造営し始めました。
北山殿は明からの使者を迎え、天皇の行幸を仰ぐなどの政治的機能と多くの芸術家たちが集う、文化サロンとしての役割も果たしていました。
戦乱の多い京都にありながら、長く戦火を免れていた金閣でしたが、1950年に青年僧が放火。
国宝の舎利殿(金閣)と安置されていた仏像が焼失され、国宝指定の解除となりました。
現在の金閣は、1955年に創建当時の姿を復元したものです。

銀閣寺

正式名称:慈照寺(じしょうじ)
所在地:京都市左京区
創設者:室町幕府第8代将軍 足利義政
創始:1490年
宗派:臨済宗相国寺派
文化的価値:ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている

銀閣の由来・外観
銀閣とは観音堂のことで、これを含めた「東山殿」全体を銀閣寺といいます。
江戸時代以降に金閣に対比して銀閣と呼ばれましたが、銀箔を貼られたことは一度もありません。
観音堂は書院造りの下層・心空殿(しんくうでん)と禅宗様式の上層・潮音閣(ちょうおんかく)から構成されています。
書院造りを構成するのは、のちの和風住宅の原型となった、四畳半の畳、違い棚、明障子(あかりしょうじ)、ふすまなど。
西芳寺(苔寺)の庭園を見本にしたという見事な庭園も併せて「侘び」「寂び」に代表される幽玄で閑寂な東山文化が表現されています。

銀閣寺創設と歴史
室町幕府第8代将軍足利義政は、1473年に息子の足利義尚(よしひさ)に将軍職を譲り、1483年には東山殿を作って移り住みました。
応仁の乱の後、諸国の守護大名から資金や工事の人夫を調達し、日明貿易の利益に加えて民衆に新たな税金を課して造営費用を調達したため、室町幕府に経済的打撃を与えています。
会所(かいしょ)、常御所(つねのごしょ)、西指庵(さいしあん)、超然亭(ちょうねんてい)などがあった東山殿の建物は戦乱でほとんど失われ、観音殿(銀閣)と東求堂のみが創建当時のまま残っています。

銅閣寺

正式名称:大雲院(だいうんいん)
所在地:京都市東山区
創設者:正親町(おうぎまち)天皇の勅命にて貞安(じょうあん)が開山
創始:1587年
宗派:浄土宗
文化的価値:国登録有形文化財(銅閣部分)

銅閣の由来・外観
銅閣は1928年に建築された3階建ての建物で、祇園閣とも呼ばれています。
大倉財閥設立者・大倉喜八郎の別邸「真葛荘(まくずそう)」の一部です。
実は金閣、銀閣を意識して屋根が銅板葺になっているのです。
屋根部分は祇園祭りの鉾(ほこ)に似た形をしています。

銀閣寺創設と歴史
1587年に正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命で、織田信長の嫡男・信忠の菩提を弔うために創建されたのが大雲院。
1582年の本能寺の変の際、信忠が自害した二条御所の跡地に作られました。
移転や火災などで現在は東山区の大蔵喜八郎旧邸の中にあり、銅閣(祇園閣)を含めて通称銅閣寺と呼ばれます。
実は、境内墓地には石川五右衛門の墓もあります。
銅閣は通常非公開ですが、期間限定の公開もされるようです。