日清戦争の講和条件として、日本は朝鮮を完全な独立国として世界に認めさせました。
また、遼東半島と台湾を清から手に入れることになりました。
しかし、清が退いたら今度はロシアが露骨な干渉を始めます。
ロシアの思惑
ロシアにはアジア大陸を南下して占領するという野心があり、はじめの目標を満州や朝鮮に定めていました。
そんななか、日清戦争により日本が遼東半島を手に入れてしまっては面白くありません。
そこで、フランス、ドイツとともに「東洋平和」を名目に遼東半島返還の要求を突き付けてきます。
また清も、日本との条約を無効にするためなら、ヨーロッパの国々にいかなる報酬を与えても良いと言い出します。
日本にフランス、ドイツ、ロシアの3ヶ国と戦争する力はありませんでした。
そのため、三国干渉に応じて遼東半島を清に返還せざるをえませんでした。
日本が遼東半島を返還すると1897年。
さっそくドイツが膠州湾(こうしゅうわん)を占領。
翌年には青島(ちんたお)も手に入れます。
三国干渉には参加していなかったイギリスも威海衛(いかいえい)と九龍(くーろん)を取り、ロシアはなんと日本が返還した遼東半島の旅順(りょじゅん)と大連を手に入れます。
さらにその翌年、フランスが広州湾(こうしゅうわん)を手に入れます。
ロシア、フランス、ドイツは「東洋平和」といって干渉してきたのに、すぐに清から植民地をむしり取ったのです。
日本国民の激怒と天皇
これには日本国民は大激怒。
国中が騒然とします。
しかし、感情のまま戦争をはじめても西欧の大国には勝てません。
そこで、これをなだめるため明治天皇は「遼東還付の勅語」を出します。
こうして、日本国民は「ならぬ堪忍するが堪忍」と思い定めて、なんとか静まります。