西郷隆盛が官職をやめた後、薩摩を中心とした士族が西郷を担いで反乱を引き起こします。
これが、日本最後の内乱。西南戦争です。
当時、特権を剥奪された武士の不満が高まっていました。
西郷と同じく征韓論を主張していた江藤新平が佐賀の乱を起こしたり、薩摩で反政府行動が起こったり・・・。
これに対し西郷隆盛は、周囲が反乱を起こさないように努力します。
しかし、それでも武士の不満を抑えることはできず、ついに周囲の武士に担がれて反乱軍総大将の座につきます。
新政府の陸軍は組織を作り始めたばかりでした。
近代装備は持っているが、兵の多くは町民や百姓でろくな訓練もしていません。
そのため、明治維新で活躍した薩摩の武士たちに、全く歯が立ちませんでした。
緒戦で政府軍が総崩れになると、薩摩軍が熊本城をあっという間に包囲。
劣勢になります。
しかしここで、薩摩軍が戦略ミスを犯します。
熊本城陥落に必要以上に執着した薩摩軍は、なかなか城を落とせないまま時間ばかり費やしてしまいます。
そうこうするうちに、政府の援軍が本州から上陸。
薩摩軍を包囲します。
こうして、形勢逆転した政府軍が勝利し、西南戦争は終結します。
西南戦争の教訓。日清・日露戦争で活かされる
この戦で有力者たちは大切なことを学びます。
それは、結局戦争に勝つのは物量と補給力があるほうだということ。
この戦争では、薩摩軍の方が士気も戦闘能力もありました。
それに対して、新政府軍がとった戦略が、徹底的な物量作戦。
兵員も武器も大量に船で本州に運び込みます。
こうして勝利した新政府軍の司令官は、のちの日清・日露戦争でも活躍します。
日清・日露戦争当時の陸軍首脳はみな西南戦争の生き残り。
なので、「たとえ弱兵であっても、補給が十分なら最終的に勝利する」ということを分かっていました。
そうなると、狭い島国の日本は勝てません。
そこで、日露戦争では初期の段階からロシアとの講和を準備していました。