鎌倉時代|1331年 元弘の乱(げんこうのらん)

1324年。

後醍醐天皇の謀反計画が幕府に知られると、側近の日野資朝(ひのすけとも)たちが捕えられてしまいます。

しかし、このときは、天皇はいっさい関わりないという弁明により、後醍醐天皇には何の処分もありませんでした。

再び倒幕計画。元弘の乱がはじまる

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1331年。

再び幕府討伐の計画が幕府側に漏れてしまいます。

後醍醐天皇は三種の神器をもって御所を脱出。

山城国笠置山で挙兵します。

これが元弘の乱のはじまりです。

 

この戦では、河内の武将、楠木正成が後醍醐天皇に呼応して兵をあげます。

笠置で籠城する天皇軍。

赤坂城で準備する楠木正成軍。

そこに50万もの北条幕府軍がやってきます。

 

まず戦ったのが後醍醐天皇。

善戦むなしく城は陥落。

赤坂城に向かう途中で幕府軍に捕まり、隠岐に流されます。




大活躍!楠木正成の孤軍奮闘!!

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次に赤坂城での戦い。

すぐに幕府が勝利するものかと思いきや楠木正成が様々な奇策を用いて奮闘。

正成は最終的に場内に火を放って逃げますが、その後、姿を現さなくなります。

一年後・・・、正成は戦死したのだと思われはじめましたが、なんと正成軍登場!!

幕府の留守部隊がいた赤坂城を攻めて、取り戻します。

さらに正成軍は勢力を拡大。

金剛山に千早城を築いて本拠とすると、幕府と徹底抗戦を始めます。

 

驚いた幕府は、80万もの大軍を送り込みます。

数の有利を生かした戦いで、赤坂城を攻めるとすぐに陥落させます。

次に、楠木正成の本拠地、千早城の攻略。

・・・が、なかなか攻め落とせない。

幕府軍が総力を挙げて戦いましたが、正成のゲリラ戦法に苦戦し、何か月たっても落とせませんでした。

 

幕府の弱体化を目撃し倒幕軍が増える

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もともと幕府に不満があり、この状況をみた各地の武士は、幕府に敵対しはじめます。

幕府軍にいた新田義貞足利尊氏も幕府を見限り、討幕軍に加わります。

隠岐の島を抜け出した後醍醐天皇も、鳥取県付近で兵をあげます。

 

楠木正成一人の抵抗をきっかけに天下は大きく動きはじめ、形勢逆転

こうなると倒幕の流れは早く、5月8日に六波羅探題陥落。
5月22日、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼす。
5月26日、九州の鎮西探題陥落。

 

こうして、わずか20日の間に関東から九州までの拠点がつぶされ、鎌倉幕府が滅亡してしまいます。