平安時代|1051年 前九年の役

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源氏も平氏も、もともと皇室から分かれた家系で、天皇に近い高貴な人たちに仕える身分でした。

源氏では清和天皇から三代目に源満仲という人物がでてきて、その子どもに源頼光、頼親、頼信という三人の息子がいました。

「大江山の鬼退治」で有名な長男頼光の家系を摂津源氏、次男の頼親の家系を大和源氏、三男の頼信は河内源氏と称します。

 

河内源氏の二代目、源頼義は宮廷から蝦夷征伐を命じられると手柄を立てることに成功。

源頼義とその子義家は、奥州で苦戦を強いられながらも豪族の安倍氏を攻め滅ぼして、源氏の基盤を固めます。

 

この戦のことを前九年の役といい、1051年から1062年の12年にわたって争いが続きました。

それからおよそ20年後に後三年の役という戦いがおこります。

 

当時、前九年の役で源頼義とともに戦った清原氏が、安倍氏の代わりに奥州で勢力を伸ばしていました。

しかし、清原氏に内紛があり、そこに源義家が介入します。

最終的に源義家・清原清衡(きよはらきよひら)連合軍が勝利し、この後、清衡は父方の姓の藤原を名乗るようになります。

源氏の行動に感激した豪族たち

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もともと、関東には平将門などの平家も多くいました。

しかし、前九年の役と後三年の役により状況が変わります。

前九年の役で手柄をあげた源頼義は正四位下・伊予守(しょうしいげ・いよのかみ)に任命されます。

しかし、他の功労者には恩賞がありませんでした。

そこで頼義は朝廷に代わって自らの財産を分け与え功労者をねぎらいます。

これに豪族たちは感激します。

 

次の後三年の役では、清原氏の内輪もめに源頼家が個人的に参加したということで、朝廷から恩賞はなく、戦費ももらえませんでした。

そこで、義家は豪族たちに自腹で恩賞を与えます。

こうして、関東地方の豪族たちは源氏に味方するようになります。

のちに活躍する北条氏ももともと平家でしたが、このときのできごとが大きく影響し、やがて源頼朝の強力な後ろ盾になります。