昭和時代の流れを分かりやすく解説2

アメリカとの交渉難航。第二次世界大戦へ

1940年。
日本はドイツ、イタリアと同盟を結び、アメリカとの関係を有利に進めようとしました。
しかし、かえってアメリカを刺激し日米関係は悪化。
その後、日本軍の中国撤兵問題などをめぐってアメリカと交渉しましたが、交渉は難航しました。

日本がソ連との国境近くの満州に大軍を集めると、アメリカは日本に対して経済封鎖を強めました。
もともと石油の大部分をアメリカから輸入していた日本は、これに苦しめられ、アメリカと戦争しようという意見が増えてきました。
その後も日米交渉を続けますが行き詰まり、アメリカは日本のアジア進攻に不信感をいだきました。

1941年。
日本軍はアメリカの海軍基地、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃。
東南アジア、太平洋各地で軍事行動を起こしてアメリカとイギリスに宣戦布告しました。
つづいて、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦して第二次世界大戦が全世界に広がりました。

日本軍の勝利と国民の熱狂

開戦後、半年ほどで東南アジアのほとんど全域を占領した日本。
アジアを欧米の植民地支配から解放するという目標を掲げて、民族運動を奨励し戦争への協力を求めました。
しかし、実際には日本軍が実権を握って支配をつづけたため、反日感情が高まる地域も多くありました。

日本の大勝利に国民は熱狂し、政府・軍部に対する国民の支持が高まりました。
これをチャンスととらえた東条内閣は、国民一丸となって戦争できるように政府体制を整えました。

一方、奇襲を受けたアメリカでは、国民の感情が爆発。
10万人以上の日系アメリカ人は戦争がはじまると強制収容所に収容されてしまいました。

苦戦。敗戦。国民の生活はより厳しく・・・

1942年6月。
日本はミッドウェー海戦で敗北。
その後、急速に不利な状況に陥っていきました。

軍部は生産能力を軍需目的に集中しました。
中学校以上の男女も工場にかり出されるようになりますが、それでも足りず、植民地だった朝鮮人や中国人を連行して日本で働かせました。
また、朝鮮・台湾人にも徴兵令がだされ、日本軍に加わりました。
しかし、それでもアメリカの巨大な生産力には追いつけず、国民の生活は一層厳しいものになりました。

1943年9月。
イタリアが降伏。
1945年3月。
東京大空襲で下町が焼き尽くされる。
同年3月。
アメリカ軍が沖縄に上陸し、6月に占領
1945年5月
ドイツが降伏。
1945年8月
広島、長崎に原子爆弾が投下され、一瞬で市街地が壊滅。
ソ連が満州や千島に侵入開始。

これらを受け1945年8月14日。
ついに日本は敗戦を認めました。
第二次世界大戦における日本の死者は約300万人、被災者約875万人と推定されています。

>>続きを読む(昭和時代3)

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