教育勅語発布とその後
1890年10月30日。
教育勅語が発布されると、様々な解説書が作られるようになりました。
しかし、解説書はそれぞれの解説者が「自分に都合の良いように」解釈をしていました。
細心の注意を払い、念には念を入れて作った教育勅語が、独り歩きしていってしまったのです。
このような状況を憂いて、井上は
「解釈する前にまず何度も読んでほしい。何度も読み暗唱することで、自ずと真意は伝わる」
と言い残して、明治28年に息を引き取りました。
拡大解釈が進む一方。
教育勅語の成果は着実に表れ始めました。
教育勅語の<12の徳目>は日本人の精神を支える支柱となり、受け継がれていきます。
高い精神性で団結した日本は、日露戦争でロシアを倒し、教育勅語も世界中から称賛の声を集めました。
太平洋戦争に敗けた後は教育勅語が廃止されてしまいますが、親から子へ、またその子へと受け継がれていきました。
戦後70年経った今でも、大災害の時には危険を顧みず他人を助ける人が大勢いました。
ただ、残念ながら現代は、教育勅語廃止に伴って精神的支柱を失った人も増えています。
そして、精神の穴を埋めるように利己主義や金銭至上主義が蔓延しています。
まさしく、明治天皇が憂いた状況になっているのです。
私たちはそろそろ、戦後の呪縛から離れ、教育勅語を見直すときがきたのかもしれません・・・。
教育勅語 12の徳目
1、親に孝養をつくしましょう |